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契嵩 かいすうQì sōng

世界大百科事典 第2版の解説

かいすう【契嵩 Qì sōng】

1007‐72
中国,北宋初期の禅僧で,明教大師,仏日契嵩ともいう。姓は李,字は仲霊,潜子とも名のる。藤州(広西省西部)の鐔津の人。各地を遊歴し,南昌で洞山暁聡の法をうけて,雲門5世となり,銭塘で活動する。《伝法正宗記》《定祖図》など,禅宗史の本を書くかたわら,欧陽修らが士大夫の学を興し,仏教を排斥するのに対し,政治を助ける宗教の立場を明らかにして,《輔教編》その他をつくる。《鐔津文集》20巻があり,日本の五山文学への影響が大きい。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

契嵩
かいすう
(1007―1072)

中国、宋(そう)代の禅僧。賜号(しごう)は明教大師(めいきょうだいし)。自号は潜子、字(あざな)は仲霊、俗姓は李氏。藤州鐔津(たんしん)県(広西チワン族自治区梧州(ごしゅう)地区藤県の北部)の出身。洞山暁聡(とうざんぎょうそう)より雲門宗の禅を受け、杭州霊隠寺(れいおんじ)に住した。唐代の韓愈(かんゆ)以後、欧陽修(おうようしゅう)など当時の儒者の間には排仏論が高まりをみせていたが、契嵩は『輔教篇(ふぎょうへん)』3巻を著してこれを批判し、儒仏一致を主張した。また、『伝法正宗記(でんぽうしょうしゅうき)』9巻、『伝法正宗論』2巻、『伝法正宗定祖図(じょうそず)』1巻を著して禅宗の伝燈(でんとう)を明らかにした。以上の4部は1061年に大蔵経(だいぞうきょう)に編入することが許された。彼の文集は『鐔津文集(たんしんもんじゅう)』19巻として名高い。[末木文美士]

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世界大百科事典内の契嵩の言及

【輔教編】より

…中国の雲門宗の祖師,明教大師契嵩(かいすう)の著。3巻。…

※「契嵩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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