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韓愈 かんゆHan Yu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

韓愈
かんゆ
Han Yu

[生]大暦3(768)
[没]長慶4(824).12.2. 長安
中国,中唐の文学者,思想家,政治家。南陽 (河南省) の人。字,退之。自分では昌黎 (河北省) の人と称したところから,韓昌黎とも呼ばれる。貞元8 (792) 年進士に及第。すぐには官途につかず,国士監四門博士となり (802) ,その後2回の嶺南地方 (広東省) への左遷を含みつつ,吏部侍郎まで累進して退官。諡は文公。散文では,対句を基調とする六朝風の華麗な駢文 (べんぶん) に対して,自由な表現を重んじる文体改革を提唱し,詩では白居易とともに「韓白」と並称される中唐の代表的詩人であり,思想家としては,儒教中心主義を強調して,仏教,道教を激しく攻撃した。著作『昌黎先生集』 (40巻) ,『外集』 (10巻) ,『遺文』 (1巻) 。

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デジタル大辞泉の解説

かん‐ゆ【韓愈】

[768~824]中国、唐の文学者・思想家。唐宋八家の一人。昌黎(しょうれい)(河北省)の人ともいわれるが、河陽(河南省)の人。字(あざな)は退之。昌黎先生と称される。儒教、特に孟子を尊び、道教仏教を排撃した。柳宗元とともに古文復興運動に努めた。

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百科事典マイペディアの解説

韓愈【かんゆ】

中国,唐代中期の詩人,文人。唐宋八大家の一人。字は退之(たいし),号は昌黎。李白杜甫を尊敬し,詩風を継いで豪放な詩を作った。儒教の正統を継承する確信のもとに,儒教精神を表現すべき古文の復活を提唱し,当時一般に行われた駢文(べんぶん)に反対した。
→関連項目欧陽修木下順庵儒教蘇軾潮安陳子昂唐宋八大家李賀柳宗元

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世界大百科事典 第2版の解説

かんゆ【韓愈 Hán Yù】

768‐824
中国,唐代中期の文学者,思想家,政治家。字は退之。郡望によって韓昌黎というが,実は河内南陽(河南省修武県)の人。最終官によって韓吏部といい,諡(おくりな)によって韓文公と呼ぶ。貞元8年(792)の進士監察御史のとき,京兆尹李実を弾劾し,かえって連州陽山県(広東省)令に左遷,のち,中央に復帰し,中書舎人などを経て,817年(元和12),地方軍閥呉元済討伐の行軍司馬となり,その功によって刑部侍郎となったが,憲宗仏舎利を宮中に迎えたのに反対したため,再び潮州(広東省)刺史に左遷された。

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大辞林 第三版の解説

かんゆ【韓愈】

768~824) 中国、中唐の儒者・文人。字あざなは退之、諡おくりなは文公、昌黎しようれいと号。唐宋八大家の一。「文は道を載せる道具」として四六駢儷べんれい体を排し、古文を提唱。詩をよくし、白居易と並び称され、また儒学復古を唱えて、文章・学問とも後代に大きな影響を残した。詩文集「昌黎先生集」「昌黎先生外集」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

韓愈
かんゆ
(768―824)

中国、唐の文学者、思想家。字(あざな)は退之(たいし)、文公と諡(おくりな)される。自称した出身地によって昌黎(しょうれい)先生とよばれ、最終官によって韓吏部(りぶ)という。幼年にして父母を失い、長兄韓会(かんかい)に養育された。792年(貞元8)の進士。地方の節度使の属官を経て、803年、監察御史となり、京兆尹(けいちょういん)(首都の行政長官)李実(りじつ)を弾劾したが、かえってそのため陽山県(広東(カントン)省)令に左遷された。翌804年召還され、その後、主として国子監に勤務。817年、呉元済(ごげんさい)の反乱のとき、司令官裴度(はいど)の副官として行軍司馬となり、平定の功によって刑部侍郎となる。819年、憲宗皇帝が仏骨を宮廷に迎えたのを諫(いさ)めて、皇帝の怒りに触れ、潮州(ちょうしゅう)(広東省)刺史(しし)に左遷されたが、翌820年憲宗が崩じ、召還されて吏部侍郎にまで至った。長慶4年12月2日卒す。
 文学上の功績の第一は、散文の文体改革である。それまで普通行われた対句(ついく)を中心としてつくられる駢文(べんぶん)に反対して、対句など形式の拘束から自由でありながら、しかも達意の文体をつくりあげ、古代文体の復活という意味で「古文」と称し、友人の柳宗元(りゅうそうげん)らとともに推し広めた。とくに、人物の伝記を述べるいわゆる碑誌伝状に優れ、従来のこのジャンルの作品が類型的な千編一律であったのを、それぞれ対象に即して個性的な文章を簡潔に書いた。唐代では古文はまだ支配的文体にまで至らず、駢文と並び行われる程度であったが、宋(そう)代以後、中国の散文文体の主流となり、彼の文章はその模範とされる。第二に、詩において叙情的テーマに限定せず、議論を展開したり、事実を詳細に記述したり、幻想を具象的に描写するなど、知的な興味を精練した表現で表すことを試み、作風を異にする白居易(はくきょい)と並んで、韓白と称され、当時の代表的詩人であった。その詩は、「文を以(もっ)て詩と為(な)した」といわれ、ときに散文的で難解との批判もあるが、題材の拡張とともに、宋代の詩に与えた影響は大きい。
 思想の方面では、儒家思想を尊重して、堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)・湯(とう)・文・武・周公・孔子・孟軻(もうか)という道統の説を提出し、仏教・道教を排撃した。古典研究において、経書の思想内容に重点を置き、『論語』と並んで『中庸(ちゅうよう)』や『孟子(もうし)』を尊重するなど、宋の性理学の先駆者とされ、李(りこう)との共著『論語筆解』2巻が存する。詩文は、『昌黎先生集』40巻、外集10巻、遺文1巻に収められ、宋の魏仲挙(ぎちゅうきょ)編五百家注、朱熹(しゅき)(朱子)『考異』などの注解がある。[清水 茂]
『清水茂注『中国詩人選集11 韓愈』(1958・岩波書店) ▽原田憲雄著『漢詩大系11 韓愈』(1965・集英社)』

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世界大百科事典内の韓愈の言及

【異端】より

…【樺山 紘一】 中国では《論語》に初めてみえる言葉で,正しくない学説の意とされる。韓愈が仏教や道教を異端として排撃して以後,新儒教(朱子学)では〈聖人の道〉からはずれた学説や教えを異端ということが多くなり,陽明学左派を徹底させた李贄(りし)は異端とされて獄中で自殺した。仏教の中では三階教が〈異法〉として禁圧されたが,一般に弾圧は最終的には国家権力によるもので,宗教的権威による異端裁判はなかった。…

【古文運動】より

…9世紀初め,中国の唐代に韓愈や柳宗元がおこした散文改革運動。六朝時代に対句や典故,平仄(ひようそく)などを極端に重視する四六駢儷文(駢文(べんぶん))が流行し,唐代にも引き継がれたが,安史の乱(755‐763)によって貴族社会の基盤が大きく揺らぐとともに,この装飾的で内容の空疎な美文に対する反省の機運が高まった。…

【祭文】より

…文中しばしば〈嗚呼哀哉(ああかなしいかな)〉の句が繰り返されることが多い。唐の韓愈の作品はことに有名。散文体のもの以外に,韻文体のものもある。…

【性三品説】より

…たとえば王充は,上智は極善,下愚は極悪であっていずれも教化の対象外であり,ただ中人のみが教育しだいで善にも悪にもなると述べている(《論衡(ろんこう)》本性篇)。唐の韓愈はそれらを継承し,《原性》という論文を書いて性三品説を確立した。性論【三浦 国雄】。…

【中国文学】より

…彼の作品は平易なことばで書かれたためもあって,唐代詩人の中でも最大多数の読者を有していた。後世になると彼と並ぶ高い評価をうける韓愈は散文(古文)の作家としては最高の地位に達するが,詩においても,そのスタイルは〈険怪〉〈詰屈(きつくつ)〉と言われるごとくごつごつしたところはあっても新しい境地をひらいたものである。韓愈を中心とするグループには異色の詩人がいた。…

【潮安】より

…この地は古くから多数の華僑を送り出しており,タイの華僑に潮安出身者が多い。また唐の韓愈が左遷された地で,韓江や韓山の名はその記念である。【林 和生】。…

【唐詩】より

…やはり中国における評価の高まりに刺激を受けたのであろう。 中唐(766‐835)の代表的詩人としては韓愈と白居易(846没)をあげねばなるまい。律詩もよくしたが,古体詩に最も特色がある。…

【唐宋八家文】より

…正しくは《唐宋八大家文読本》といい,全30巻から成る。しかしこの沈徳潜本の成立までに明の茅坤(ぼうこん)の《唐宋八大家文鈔》と清の儲欣(ちよきん)の《唐宋十大家全集録》があり,しだいに《読本》の唐の韓愈,柳宗元,宋の欧陽修,蘇洵(そじゆん),蘇軾(そしよく)(東坡),蘇轍(そてつ),曾鞏(そうきよう),王安石に定着したのである。沈徳潜は同書の序文でも唐宋文から漢代の文章である漢文にさかのぼるべきであると主張している点でもわかるように,明の古文辞派の〈文は秦漢〉のスローガンにも,ある程度の同情を寄せている格調派の指導者である。…

【孟郊】より

…しかし,官僚としては不遇で貧しかった。性格は狷介(けんかい)であったが,当時の代表的文人官僚韓愈とは終生親交を結び,韓愈を中心とするグループに属した。苦吟型の詩人で,その詩風は賈島(かとう)と合わせて〈郊寒島瘦〉と評される。…

【李賀】より

…福昌(河南省宜陽県)の人。10代にして韓愈に詩才を認められて科挙を目ざしたが,韓愈の推薦にもかかわらず,反感を抱く者たちに受験をはばまれ,失意のうちに帰郷した。以後中央官界への道は閉ざされ,一時微官を得たこともあるが,27歳で夭折した。…

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