奥佐田城跡(読み)おくさだじようあと

日本歴史地名大系 「奥佐田城跡」の解説

奥佐田城跡
おくさだじようあと

[現在地名]白山町佐田 味噌谷

奥佐田の北方山地標高一三〇メートルの山端にある。山上に本丸・二ノ丸と土塁が完全に残る。頂上付近には二重の空堀がある。規模は六〇×三五メートル。北畠氏の家臣堀山次郎左衛門の居城といわれる。「勢陽雑記」によると、天正一二年(一五八四)蒲生氏郷の小倭おやまと攻撃のときに包囲されたが、北畠具親が安保大蔵少輔を使として交渉し、城主堀山次郎左衛門尉は開城して引退したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android