20世紀日本人名事典 「奥野健一」の解説 奥野 健一オクノ ケンイチ 昭和期の弁護士 元・最高裁判事。 生年明治31(1898)年11月18日 没年昭和59(1984)年5月6日 出生地和歌山県田辺市 学歴〔年〕東京帝大法学部法律学科〔大正12年〕卒 主な受賞名〔年〕勲一等旭日大綬章〔昭和44年〕 経歴仙台地裁所長、大審院判事、参議院法制局長などを歴任後、昭和31年から43年まで最高裁判事。「ハト派」と呼ばれ、柔軟な法律論を展開、砂川事件判決(34年)では「日米安保条約には日本の司法審査権は及ばない」とする多数意見に対し「司法審査権は及ぶ」との意見を述べた。また「疑わしきは罰せず」の原則を重視し、死刑、無罪と二転、三転した八海事件では43年、第二小法廷裁判長として「無罪」を言い渡している。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥野健一」の解説 奥野健一 おくの-けんいち 1898-1984 昭和時代の裁判官。明治31年11月18日生まれ。奥野健男の父。司法省民事局長などをへて,昭和31年最高裁判事となる。八海(やかい)事件では,疑わしきは罰せずの原則をつらぬき無罪を判決。「悪徳の栄え」裁判では,有罪の多数意見に反対した。昭和59年5月6日死去。85歳。和歌山県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by