奥馬野村(読み)おくばのむら

日本歴史地名大系 「奥馬野村」の解説

奥馬野村
おくばのむら

[現在地名]大山田村奥馬野

広瀬ひろせ村の南に位置する。東に笠取かさとり(八二八メートル)布引ぬのびき(七九九メートル)連峰が連なり、馬野川は布引山地より発して西北に流れ、同じく布引山地より発する左妻さづま川と当村下馬野しもばので合流する。集落は馬野川に沿う耕地部に形成されている。伊勢国へは間道が二筋あり、北は桂畑かつらはた(現安芸郡美里村)へ出、南は谷杣たにぞま(現久居市)へ出る。「三国地志」に「狼辻越ト云勢州谷杣ヘ出ル間道アリ」とある。

建仁元年(一二〇一)三月日の伊賀国在庁官人解案(同文書)には馬野庄があげられていないが、元亨元年(一三二一)五月一八日諸庄神人支配事(大和薬師院文書)に「馬野庄奉」と出るので、この間に東大寺領に設定されたのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1 《「礼記」月令から》カワウソが自分のとった魚を並べること。人が物を供えて先祖を祭るのに似ているところからいう。獺祭魚。おそまつり。うそまつり。2 《晩唐の詩人李商隠が、文章を作るのに多数の書物を座...

獺祭の用語解説を読む