女山村(読み)おんなやまむら

日本歴史地名大系 「女山村」の解説

女山村
おんなやまむら

[現在地名]多久市西多久町にしたくまち板屋いたや 猪鹿ちゆうろく山口やまぐち平山ひらやま平古場ひらこば駄地だちたにおよび宿しゆくの一部

多久邑の西端、八幡はちまん岳の南麓で、八幡岳・ふな山と徳連とくれん岳の間の細長い谷間の平野の最奥部が主地域である。徳連岳の北斜面の平地に位置する平山・平古場と八幡岳の南斜面に位置する猪鹿を除いて、およそ伊万里往還(佐賀―伊万里)沿いに集落が形成されている。山口は牛津川の源に近く、宿の一部のみが板屋村藤河内ふじのかわち村に挟まれていて、飛地のようになっている。

地名としての女山は「肥前風土記杵島きしま郡に「嬢子山をみなやま在郡東北 同(纏向日代宮御宇)天皇 行幸之時、土蜘蛛八十女やそめ 又有此山頂、常捍皇命 不降服、於 遣兵掩滅。因曰嬢子山」と記され、「肥前古跡縁起」では女山村の船山を比定し、「同女山は鈴鹿御前の霊なり」としている。

「九州治乱記」の応安四年(一三七一)条に「小侍女山へ打群り、了俊の下知を承る」と記されているが、村としては「水江事略」の天正元年(一五七三)条に「女山の村長船山主税」と記されている。慶長絵図に「上多久ノ内」として女山がある。

丹邱邑誌」の承応二年(一六五三)の「邑中正税」に小城おぎ郡多久庄の女山村が郷村名として出ている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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