妙堂崎村(読み)みようどうざきむら

日本歴史地名大系 「妙堂崎村」の解説

妙堂崎村
みようどうざきむら

[現在地名]鶴田町妙堂崎みようどうさき

西は杉ノ沢すぎのさわ溜池(現西津軽郡森田村)、南は大開おおびらき村、北は岩木山の東の通称妙堂山の東麓に位置し、玉川たまかわ村に接する。

国日記寛文六年(一六六六)の記事に昨左衛門ら六人が「広須より替地にて妙堂崎村にて新地を遣し候に付て巳ノ年より未ノ年まで三ケ年之間野手米一俵米」を免除されたとある。貞享元年(一六八四)の郷村帳に一一六・四石とあり、寛文四年以後の新田とされる。貞享四年の検地帳に支村玉川村を含まない田方七二町三反四畝一一歩、畑方一三町一反二畝二三歩、田畑屋敷合せて八五町四反七畝四歩、村高五三六・九〇六石、百姓三七人、漆木二七本と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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