姥ヶ懐新田(読み)うばがふところしんでん

日本歴史地名大系 「姥ヶ懐新田」の解説

姥ヶ懐新田
うばがふところしんでん

[現在地名]立科町芦田

芦田あした宿から南へ古町ふるまちを経て南西へ山の懐に至る道筋に開いた新田。

元禄一一年(一六九八)四月の国絵図郷帳仕上触芦田村書上(土屋伝氏蔵)に芦田村の枝村として「姥ケ懐新田芦田村ヨリ午之方道法拾六丁三拾間」と記す。同一六年六月の牧野康重新知郷村引渡証文(牧野一郎氏蔵)では五四石余、宝暦一〇年(一七六〇)二月の領内村々人別帳(角田武夫氏蔵)では男二四人、女二一人を記す。

開発年次は、明治一四年(一八八一)の村内取調べによれば、延宝七年(一六七九)山浦新左衛門が、小諸こもろ城主西尾隠岐守忠成の許可を得て、芦田組八ヵ村入会地に接する芦田村地内を開き始め、天和三年(一六八三)城主石川美作守乗政の検地を受けて成立した五〇石の新田村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報