万葉歌人。生没年不詳。藤原京時代(694-710)の柿本人麻呂らとほぼ同時期の歌人。羈旅歌(きりよか)のみ18首を《万葉集》にとどめる。叙事的な文体により旅途属目の景物の鮮明なイメージを造型した。〈桜田へ鶴(たず)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る〉(巻三)。その心情の表出は,情意的な形容詞,副詞を用いることが少なく,疑問・推量などの句法によって懐古や漂泊の感傷的情調を添えることが多い。〈何処にか舟泊て(ふなはて)すらむ安礼(あれ)の崎漕ぎたみゆきし棚無し小舟〉(巻一)。《古今集》大歌所(おおうたどころ)御歌に〈しはつ山ぶり〉として収める歌は黒人の作であり,黒人は歌舞をつかさどる役所のために歌を提供する歌人であったかとも思われる。
執筆者:井村 哲夫
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生没年未詳。8世紀前半の歌人。683年(天武12)に連(むらじ)の姓を賜った高市県主(あがたぬし)の家系に属し、持統(じとう)・文武(もんむ)両朝に仕えた下級官人であったらしい。『万葉集』に短歌18首を残す。すべて旅中の作で、その足跡は、大和(やまと)のほか、山城(やましろ)、近江(おうみ)、摂津から尾張(おわり)、三河、越中(えっちゅう)の諸国に及ぶ。官人機構の拡大とともに地方へ赴任する官吏が増加し、交通も頻繁となって、黒人のような旅の歌人を生んだのである。黒人は好んで自然を詠み、叙景的な歌をつくっているので、後の山部赤人(やまべのあかひと)の先蹤(せんしょう)とすべき叙景歌人ともいわれる。しかし赤人よりも主観的な詠嘆をあらわにする傾向が強い。黒人の歌に「旅にしてもの恋しきに山下の朱(あけ)のそほ船沖に漕(こ)ぐ見ゆ」や「四極山(しはつやま)うち越え見れば笠縫(かさぬひ)の島漕ぎ隠る棚無し小舟(をぶね)」のように遠ざかる舟を歌うことが多いのは、旅人の感ずるあてどない漂泊感や、人間の根源的な不安を象徴的に表すとみられる。
[稲岡耕二]
(芳賀紀雄)
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