デジタル大辞泉 「子島曼荼羅」の意味・読み・例文・類語 こじま‐まんだら【子島曼荼羅】 奈良県高市郡高取町の子島寺にある両界曼荼羅の通称。紺綾地に金銀泥で描いたもの。平安時代、長保年間(999~1004)ころの作で、高雄曼荼羅と並ぶ遺品として重要。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「子島曼荼羅」の意味・読み・例文・類語 こじままんだら【子島曼荼羅】 奈良県高市郡高取町の子島寺にある「両界曼荼羅図」の通称。二幅(にふく)。平安前期の作。紺綾地金銀泥絵。胎蔵界は縦三四九・一センチメートル、横三〇七・九センチメートル、金剛界は縦三五一・五センチメートル、横二九七センチメートル。空海が入唐請来し、長保年間(九九九‐一〇〇四)一条天皇より下賜されたものと伝え、京都神護寺の高雄曼荼羅と並び最古の作例の一つ。国宝。→両界曼荼羅 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の子島曼荼羅の言及 【両界曼荼羅】より …寺伝では宮中真言院の御修法(みしほ)用の曼荼羅としているが確証はない。また醍醐寺五重塔(951)初層内の両界曼荼羅壁画,《子島曼荼羅》(紺綾金銀泥絵,子島寺),《血曼荼羅》(絹本著色,金剛峯寺,1150)など,現図曼荼羅の遺品は多い。このほか台密用の金剛界八十一尊曼荼羅があり,円仁請来本から描いたと見なされる根津美術館本(13世紀前半)や兵庫太山寺本などが知られる。… ※「子島曼荼羅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by