孔子跡(読み)こうしびようあと

日本歴史地名大系 「孔子跡」の解説

孔子
こうしびようあと

[現在地名]那覇市久米二丁目

近世の久米村の南端にあった廟堂。聖廟・文廟・至聖廟ともいった。間切集成図には孔子堂、那覇及久米村図(沖縄志)には孔廟とみえる。孔子および四配(顔子・曾子・孟子・子思)を祀っていた。現在敷地の大半は国道五八号と那覇商工会議所となっている。「琉球国由来記」によると、万暦三八年(一六一〇)久米村の紫金大夫蔡堅が中国に進貢使節として派遣された時に、聖廟に登る機会を得て車服礼器を見ることができた。蔡堅は聖像を描いて帰国したが、琉球には聖廟がなく画像は久米村人が輪番で各々の自宅で祀り続けていた。康熙一一年(一六七二)に紫金大夫金正春が廟の創建を尚貞王に申請して許可され、久米村内の泉崎いずんざち橋頭の地を選んで起工し、同一三年に完成した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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