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中国,山東省曲阜(きよくふ)にある孔子をまつる大聖堂のこと。文廟,孔廟ともいう。儒教の総本山。孔子が没した翌年(前478),魯の哀公が孔子の旧居を廟に改築し,定期的にまつりをとり行ったのがその始まりといわれる。漢代以降,儒教が国教となり孔子の地位が高まるにしたがい,歴代皇帝の手厚い庇護と崇敬を受け,その規模はいよいよ増大していった。清朝にいたるまで増改築は30余回におよぶ。総面積は約22万m2。建物は南北軸上に左右対称に建てられ,南端の入口を櫺(れい)星門(孔廟大門)といい,その突きあたりが本殿の大成殿である。金色の琉璃(るり)瓦を頂く二重入母屋造の屋根をもち,高さ32m,間口54m,奥行き34mの壮麗な建築で,内部には孔子とその高弟の像が安置されている。その左右に走る東西の両廡(ぶ)には,孔子の弟子と歴代の聖賢の位牌が置かれていたが,いまは漢・魏・六朝の碑刻(いしぶみ)と漢の画像石が陳列されている。孔子廟はのちに全国各地の府県に建てられたのみならず,儒教を信奉する外国にも設けられた。日本では東京の湯島聖堂,朝鮮ではソウル市鍾路区明倫洞の文廟が著名である。
執筆者:三浦 国雄
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孔子を祀(まつ)った廟。孔廟、聖廟、文廟、聖堂ともいう。孔子の没した翌年の紀元前478年(魯(ろ)の哀公(あいこう)17)哀公が曲阜(きょくふ)闕里(けつり)(山東省)の孔子の旧宅に廟を建て、孔子の冠、琴、車、書などを置き、卒に守らせたのが初めとされる。北魏(ほくぎ)では、漢代に孔子を封(ほう)じて宣尼公(せんにこう)としたことから宣尼廟といった。北朝斉(せい)の時代、郡学の坊内に孔顔廟を建て、唐では高祖が619年(武徳2)国学に、太宗(たいそう)が630年(貞観4)州県に詔(しょう)して孔子廟を建てさせた。さらに高宗が669年(総章2)天下に詔して各地に設置させた。明(みん)代になり、1410年(永楽8)文廟と改称し、清(しん)代もこれに倣い、民国にはまた孔子廟に改められた。廟の正殿を大成殿といい、孔子、四配(顔回(がんかい)、子思(しし)、曽子(そうし)、孟子(もうし))、十二哲の像を安置し、殿下の露台には杏壇(きょうだん)が設けられている。今日、曲阜のほか中国各地に建造物が遺存し、台湾、日本(東京の湯島聖堂、佐賀の多久聖廟(たくせいびょう)など)では釈奠(せきてん)(孔子を祀る儀式)も行われている。
[田中 有]
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日本では聖堂・聖廟とも。孔子を祭った建築。中国で伝統的に建造されたが,日本でも古代から大学寮内に廟堂が設けられ,釈奠(せきてん)が行われた。江戸時代に儒学が官学になってからは,各藩の藩校にも多数建設された。基本的形式は仰高門・入徳門を設け,中央正面に大成殿をおく。大成殿は正面5間,奥行6間で,内部正面に孔子像,左右に四配十二哲像などが祭られた。中国の例を規範としながら,日本化された要素も多い。代表例は湯島・足利学校・閑谷(しずたに)学校の聖堂など。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…聖堂のうち,司教座(カテドラcathedra)の置かれたものをとくに司教座聖堂または大聖堂と呼び,フランス語でカテドラルcathédrale,イタリア語でドゥオモduomo,ドイツ語でドームDomまたはミュンスターMünsterという。教会教会堂建築(2)日本で,孔子をまつった建物,すなわち孔子廟を聖堂(または聖廟)と呼ぶ。湯島聖堂などがその例。…
※「孔子廟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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