孔子廟(読み)コウシビョウ(英語表記)Kǒng zǐ miào

デジタル大辞泉 「孔子廟」の意味・読み・例文・類語

こうし‐びょう〔‐ベウ〕【孔子×廟】

孔子の霊をまつるみたまや。孔子の死の翌年に中国山東省曲阜の旧宅に造られたものが初め。日本でも、奈良・平安時代には大学・国学に造られ、江戸時代には江戸湯島など各地に造られた。聖堂。聖廟。孔廟

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共同通信ニュース用語解説 「孔子廟」の解説

孔子廟

孔子廟こうしびょう 中国・春秋時代の思想家で、儒教の祖となった孔子を祭る建物。孔子の死後山東省・曲阜にあった旧居を廟に改築したのが始まりで、中国各地やアジアに広がった。曲阜の孔子廟は、孔子の墓所などとともに世界文化遺産に登録されている。日本では古代から教育機関に設けられ、江戸時代に儒教から発展した「朱子学」が幕府公認の官学になってからは、各地の藩校にも数多く建設された。湯島聖堂(東京都文京区)や、足利学校(栃木県足利市)、旧閑谷しずたに学校(岡山県備前市)などにある孔子廟が著名だ。

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精選版 日本国語大辞典 「孔子廟」の意味・読み・例文・類語

こうし‐びょう‥ベウ【孔子廟】

  1. 〘 名詞 〙 孔子をまつるみたまや。孔子の徳を尊んで死の翌年の哀公一七年、哀公によって曲阜闕里(今の山東省)の旧宅に建てられ遺品を蔵したことに始まる。日本では奈良・平安時代に大学、府学、国学に、江戸時代には湯島および各藩に置かれ釈奠(せきてん)を行なった。孔廟。聖廟。文廟。聖堂。〔韓愈‐赴州孔子廟碑〕

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改訂新版 世界大百科事典 「孔子廟」の意味・わかりやすい解説

孔子廟 (こうしびょう)
Kǒng zǐ miào

中国,山東省曲阜(きよくふ)にある孔子をまつる大聖堂のこと。文廟,孔廟ともいう。儒教の総本山。孔子が没した翌年(前478),魯の哀公が孔子の旧居を廟に改築し,定期的にまつりをとり行ったのがその始まりといわれる。漢代以降,儒教が国教となり孔子の地位が高まるにしたがい,歴代皇帝の手厚い庇護と崇敬を受け,その規模はいよいよ増大していった。清朝にいたるまで増改築は30余回におよぶ。総面積は約22万m2。建物は南北軸上に左右対称に建てられ,南端の入口を櫺(れい)星門(孔廟大門)といい,その突きあたりが本殿大成殿である。金色の琉璃(るり)瓦を頂く二重入母屋造の屋根をもち,高さ32m,間口54m,奥行き34mの壮麗な建築で,内部には孔子とその高弟の像が安置されている。その左右に走る東西の両廡(ぶ)には,孔子の弟子と歴代の聖賢の位牌が置かれていたが,いまは漢・魏・六朝の碑刻(いしぶみ)と漢の画像石が陳列されている。孔子廟はのちに全国各地の府県に建てられたのみならず,儒教を信奉する外国にも設けられた。日本では東京の湯島聖堂,朝鮮ではソウル市鍾路区明倫洞の文廟が著名である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「孔子廟」の意味・わかりやすい解説

孔子廟
こうしびょう

孔子を祀(まつ)った廟。孔廟、聖廟、文廟、聖堂ともいう。孔子の没した翌年の紀元前478年(魯(ろ)の哀公(あいこう)17)哀公が曲阜(きょくふ)闕里(けつり)(山東省)の孔子の旧宅に廟を建て、孔子の冠、琴、車、書などを置き、卒に守らせたのが初めとされる。北魏(ほくぎ)では、漢代に孔子を封(ほう)じて宣尼公(せんにこう)としたことから宣尼廟といった。北朝斉(せい)の時代、郡学の坊内に孔顔廟を建て、唐では高祖が619年(武徳2)国学に、太宗(たいそう)が630年(貞観4)州県に詔(しょう)して孔子廟を建てさせた。さらに高宗が669年(総章2)天下に詔して各地に設置させた。明(みん)代になり、1410年(永楽8)文廟と改称し、清(しん)代もこれに倣い、民国にはまた孔子廟に改められた。廟の正殿を大成殿といい、孔子、四配(顔回(がんかい)、子思(しし)、曽子(そうし)、孟子(もうし))、十二哲の像を安置し、殿下の露台には杏壇(きょうだん)が設けられている。今日、曲阜のほか中国各地に建造物が遺存し、台湾、日本(東京の湯島聖堂、佐賀の多久聖廟(たくせいびょう)など)では釈奠(せきてん)(孔子を祀る儀式)も行われている。

[田中 有]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「孔子廟」の意味・わかりやすい解説

孔子廟
こうしびょう
Kong-zi-miao

孔子をまつる廟。中国において唐代に州,県に孔子廟をつくるように詔が出て以後全国的に普及し,県城以上の各地の中心的都市にある。時代により聖廟,孔廟,先師廟,宣聖廟その他の名称が用いられたが,明,清代には通俗的に文廟と呼ばれ,中華民国以後に孔子廟と改められた。規模は異なるが,廟の建築には一定の制があり,正殿を大成殿,その門を大成門といい,大成殿の中央に孔子の塑像が安置してある。中国,シャントン (山東) 省チュイフー (曲阜) 県県城の「曲阜孔廟」は孔子の故宅を中心として営まれ,全孔子廟を代表し最も名高い。北宋初期より発達したが金代末期には荒廃し,明代の大火 (1499) で主要建築を焼失し,大成殿など主要な殿門は清代の重建。 1994年孔子一族の邸宅孔府,墓所孔林とともに,世界遺産の文化遺産に登録。朝鮮にもあり,日本では孔子廟,聖堂の名で江戸や各藩で営まれた。

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百科事典マイペディア 「孔子廟」の意味・わかりやすい解説

孔子廟【こうしびょう】

文廟,夫子廟,孔廟とも。孔子をまつった廟。孔子が没した翌年(前478年),魯の哀公が孔子の旧居を改築したもので,曲阜(山東省)にある。唐代に全国の州県に建立。後にはその弟子や歴代の儒者も合祀。朝鮮や日本などにも設けられ,東京湯島の聖堂(1690年建設)もその例。曲阜の孔子廟,孔林(孔子の墓)などは1994年世界文化遺産に登録された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「孔子廟」の解説

孔子廟
こうしびょう

日本では聖堂・聖廟とも。孔子を祭った建築。中国で伝統的に建造されたが,日本でも古代から大学寮内に廟堂が設けられ,釈奠(せきてん)が行われた。江戸時代に儒学が官学になってからは,各藩の藩校にも多数建設された。基本的形式は仰高門・入徳門を設け,中央正面に大成殿をおく。大成殿は正面5間,奥行6間で,内部正面に孔子像,左右に四配十二哲像などが祭られた。中国の例を規範としながら,日本化された要素も多い。代表例は湯島・足利学校・閑谷(しずたに)学校の聖堂など。

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世界大百科事典(旧版)内の孔子廟の言及

【聖堂】より

…聖堂のうち,司教座(カテドラcathedra)の置かれたものをとくに司教座聖堂または大聖堂と呼び,フランス語でカテドラルcathédrale,イタリア語でドゥオモduomo,ドイツ語でドームDomまたはミュンスターMünsterという。教会教会堂建築(2)日本で,孔子をまつった建物,すなわち孔子廟を聖堂(または聖廟)と呼ぶ。湯島聖堂などがその例。…

※「孔子廟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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