日本歴史地名大系 「宅部郷」の解説 宅部郷やかべごう 熊本県:肥後国益城郡宅部郷「和名抄」東急本・高山寺本ともに訓を欠く。「日本地理志料」は「也加倍」と訓を付す。一般に矢部(やべ)(現上益城郡矢部町)を遺称地とし、緑川上流の中世の矢部郷にあてる。 宅部郷やけべごう 東京都:東大和市宅部郷中世の郷で、近世の宅部村が遺称地。正福(しようふく)寺地蔵堂(現東村山市)の応永一四年(一四〇七)銘の尾垂木尻持送墨書に「武州多東郡宅部郷」とみえる。清水(しみず)の氷川大明神(現清水神社)にあったという永禄一二年(一五六九)六月二一日付の板絵像銘(風土記稿)にも「武州多東郡宅部郷」と記されていたといい、小町和正氏蔵の天正二年(一五七四)二月五日付の東村山市日向(ひなた)薬師堂の棟札には「下宅部」とある。氷川大明神は当郷の惣社とされており、当郷は現在の東村山市から東大和市にかけての狭山丘陵南面一帯を含んでいたと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by