日本歴史地名大系 「宇佐崎村」の解説 宇佐崎村うさざきむら 兵庫県:姫路市旧飾磨郡地区宇佐崎村[現在地名]姫路市白浜町宇佐崎中(しらはまちよううさざきなか)一―三丁目・白浜町宇佐崎南(しらはまちよううさざきみなみ)一―二丁目・白浜町宇佐崎北(しらはまちよううさざききた)一―三丁目飾東(しきとう)郡に所属。海岸部に東西に延びる砂堆の東端に発達した村で、東は八家(やか)川を境に八家村など、西は中(なか)村。北部に十一(じゆういち)ノ坪(つぼ)などの条里遺構や城(じよう)ノ元(もと)という城跡らしき小字名が残るが、昭和五七年(一九八二)に起工された土地区画整理事業によって条里遺構は消滅した。村名の由来は、赤松貞範が姫山(ひめやま)城(姫路城の前身とされる)城主の時に「武部無射的を立し所」の故から無射崎と称し、のちに松原(まつばら)別宮(現松原八幡神社)ゆかりの豊前宇佐宮の名を借りて宇佐崎と改めたというが(「増補播陽里翁説」智恵袋)、諸説があり定かではない。慶長国絵図に「うさゝき」とみえる。江戸時代を通して姫路藩領。正保郷帳では宇佐崎村とみえ、田方三五二石余・畠方三二石余。元禄郷帳では高四二八石余。天保郷帳では高五二三石余。旧高旧領取調帳では同高で、うち一石余は「松原山八幡社」領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報