日本歴史地名大系 「宇喜多堤」の解説
宇喜多堤
うきたつつみ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…【由比浜 省吾】
[干拓の歴史]
中世末期から近世にかけて土砂堆積がすすみ,児島湾は遠浅となって大規模な干拓が続出した。早くは1580年代に岡山城主宇喜多秀家が備中の倉敷から早島にかけていわゆる〈宇喜多堤〉を築いて,児島湾干拓の口火を切った。岡山藩治下での干拓は,北岸から南下する形で初めは民営で行われ,土豪開発の米倉新田(30町)や町人請負の金岡新田(232町)が注目される。…
…古くは児島湾に臨んでいたが,天正年間(1573‐92)に宇喜多氏の領地となって干拓が進められた。町内を通る県道は〈宇喜多堤〉とよばれ,当時の堤防の跡である。近世末からは干拓地でイグサ,綿などの商品作物の栽培が始まり,以後,畳表(早島表)や花むしろの製造が盛んになった。…
※「宇喜多堤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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