日本歴史地名大系 「宇治宿墓」の解説
宇治宿墓
うじのすくねのはか
山陰街道を南直下に望む小丘陵尾根上、街道からの比高は約一〇メートルだが長岡丘陵を隔てて山城盆地が見える場所。大正六年(一九一七)に蔵骨器と、それを納めた石櫃とともに墓誌が発見され、宇治宿禰の墓とわかった。
石櫃は長さ四五・五センチ、幅四二・九センチ、全高四〇・九センチの花崗岩製。発見時には蓋石が身からずれ、石櫃内部の円孔には土砂が混入していた。身の底部と周囲には長径三〇センチほどの石を積んで石櫃の安定をはかり、その上を粘土で覆ってあったという。
蔵骨器を納める円孔は、身は直径一六・五センチ、深さ九・二センチの、底面径のやや小さい逆台形断面で、蓋は、直径一四・二センチ、深さ二・四センチの浅い皿状を呈する。蓋の円孔周縁には幅二・四センチの低い環状突出帯があり、身と重ね合わすとこの突出部が身の内側におさまる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報