日本歴史地名大系 「塚原村」の解説
塚原村
つかはらむら
大永三年(一五二三)頃とも推定される年未詳七月二一日の武田信虎書状(恵運院文書)によれば塚原山・
塚原村
つかはらむら
塚原村
つかはらむら
- 神奈川県:南足柄市
- 塚原村
西南に
近世は小田原藩領。天正二〇年(一五九二)三月一三日の後藤真成手形(相州古文書)に「苅野庄塚原之郷」とみえる。寛永八年(一六三一)の
塚原村
つかはらむら
塚原村
つかはらむら
塚原村
つかばらむら
塚原村
つかわらむら
塚原村
つかばらむら
- 静岡県:御殿場市
- 塚原村
塚原村
つかはらむら
- 大阪府:高槻市
- 塚原村
塚原村
つかはらむら
塚原村
つかはらむら
- 京都市:西京区
- 塚原村
村名は村内の塚原群集墳や
享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳では村高二四六・九石余、内訳は金光寺領一六三・四石余、北面衆一三人知行五二石余、禁裏御領七石余、同上山開二二石。
なお近世には毎年五月六日
塚原村
つかばるむら
塚原村
つかはらむら
塚原村
つかばらむら
太平洋岸の小高川河口部に位置し、西は
塚原村
つかわらむら
塚原村
つかはらむら
塚原村
つかはらむら
塚原村
つかばらむら
塚原村
つかはらむら
塚原村
つかはらむら
塚原村
つかはらむら
- 茨城県:下館市
- 塚原村
塚原村
つかはらむら
塚原村
つかばるむら
- 大分県:竹田市
- 塚原村
菅生台地のほぼ中央に位置する。正保・元禄・天保の各郷帳に村名がみえない。弘化物成帳では菅生組のうち、村位は中、免三ツ、田七斗余(八畝余)・畑六七石余(一二町二反余)・屋敷五斗余(五畝余)で、開田六斗余(一町二反余)、開畑はない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報