日本歴史地名大系 「宇生賀村」の解説
宇生賀村
うぶがむら
現阿武町東南端に位置し、
建武四年(一三三七)五月日付の虫追四郎左衛門尉政国申状案(益田家什書)に「生賀」とあり、石見国の南朝方三隅氏・高津氏らの軍が阿武郡に進撃し
とし、天文五年(一五三六)以後宇生賀と称するようになったと述べる。
慶長一五年(一六一〇)の検地帳は「宇生賀」と記し、総石高九〇八石余、うち田は七一町余で高七三〇石余、畠は四七町余で高一二二石余、百姓屋敷数一一八、小物成二石。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報