大井八幡宮(読み)おおいはちまんぐう

日本歴史地名大系 「大井八幡宮」の解説

大井八幡宮
おおいはちまんぐう

[現在地名]萩市大井 市場

大井川の下流北岸の小高い山の麓に鎮座。祭神は応神天皇・神功皇后・田心姫命。旧郷社。

社伝によれば、花山天皇の時、似光という者が宇佐(うさ)八幡宮(現大分県宇佐市)を大井郷中央部の宿居殿(とのいでん)に勧請、社殿を創建したという。その後、堀河天皇の時、式部少輔平時実が社殿を日尾(ひお)山(現阿武郡福栄村)に移し、この時、鎌倉の鶴岡(つるがおか)八幡宮をも勧請し祀ったという。その後、現在地に移ったというが年次は不詳。

嘉暦四年(一三二九)一一月三日付の大井八幡宮文書に次のようにある。

<資料は省略されています>

文和元年(一三五二)八月一三日付の当社の宮座文書(「注進案」所収)には、「御祭礼郷々社頭座敷本帳之事」として、左座に三見(さんみ)郷、須佐(すさ)郷(現阿武郡須佐町)、大井郷、宇布加(うぶか)郷・福田(ふくだ)郷(現阿武郡阿武町)、弥富(やどみ)郷(現須佐町)、加年(かね)郷(現阿武郡阿東町)、小川(おがわ)郷(現阿武郡田万川町)が、右座に椿(つばき)郷、徳佐(とくさ)郷(現阿東町)、奈古(なご)郷(現阿武町)、高佐(たかさ)郷・吉部(きべ)郷(現阿武郡むつみ村)、地福(じふく)郷(現阿東町)、紫福(しぶき)郷(現阿武郡福栄村)、生雲(いくも)郷(現阿東町)、福井(ふくい)郷(現福栄村)、川島(かわしま)庄がそれぞれ記される。


大井八幡宮
おおいはちまんぐう

[現在地名]大井川町藤守

藤守(ふじもり)の北端、航空自衛隊静浜(しずはま)基地との境付近にある。祭神は誉田別命、相殿に大山咋命・大己貴命を祀る。旧郷社。延暦年間(七八二―八〇六)大井川の水害を恐れ、川除けの神を祀ったことに始まるという。大井川は貞観年間(八五九―八七七)の氾濫によって主流を大きく変えたといわれ、寛和元年(九八五)神主藤原(太田良)秀広が陰陽家安倍晴明に方位を卜してもらい社殿を再建したと伝える(「大井川町史」など)。建久年中(一一九〇―九九)藤原実綱は源頼朝の命により八幡宮を奉遷、元久二年(一二〇五)には社殿を再建して正遷宮が行われ(太田良家譜)、川除(かわよけ)八幡宮と称されたという(静岡県神社志)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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