日本歴史地名大系 「宇目村」の解説
宇目村
うめむら
中世の大野郡
応安六年(一三七三)四月四日の今川義範感状案(薩藩旧記雑録)に「宇目・長峰」とみえ、南朝方の菊池氏の背後を突くため豊後に入った義範(貞臣、九州探題今川貞世の嫡子)は、日向の武士土持栄勝が当地に討入り戦ったことを賞している。
佐伯氏一〇代惟治は、大永七年(一五二七)大友家に反して討たれたが、このとき宇目
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中世の大野郡
応安六年(一三七三)四月四日の今川義範感状案(薩藩旧記雑録)に「宇目・長峰」とみえ、南朝方の菊池氏の背後を突くため豊後に入った義範(貞臣、九州探題今川貞世の嫡子)は、日向の武士土持栄勝が当地に討入り戦ったことを賞している。
佐伯氏一〇代惟治は、大永七年(一五二七)大友家に反して討たれたが、このとき宇目
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