守永(読み)もりなが

日本歴史地名大系 「守永」の解説

守永
もりなが

貞治七年(一三六八)正月一八日の大光寺年貢諸日記(大光寺文書)によれば、同六年分の年貢として守永米七石が木脇きわき米一石三升とともに大光だいこう(現佐土原町)に納められている。守永には延文五年(一三六〇)頃に大光寺末の大乗だいじよう寺が開かれているので(同年七月日「伊東祐胤寄進状」西福寺文書)、大光寺の給地があったのであろう。また守永公事料として銭八〇〇文が支出されている。なお「日向記」によると、南北朝前期に木脇祐頼の孫伊東祐広の嫡子守永下野守祐氏が都於郡とのこおり(現西都市)伊東祐持本領押領したと伝え、伊東氏の古くからの拠点であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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