コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

上井覚兼 うわい かくけん

2件 の用語解説(上井覚兼の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

上井覚兼 うわい-かくけん

1545-1589 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)14年2月11日生まれ。薩摩(さつま)(鹿児島県)の島津義久につかえ,天正(てんしょう)4年家老職,8年日向(ひゅうが)宮崎城主となる。15年義久が豊臣秀吉に降伏すると出家。古典,和歌,茶の湯などに通じ,「上井覚兼日記」をのこしている。天正17年6月12日死去。45歳。初名は為兼。通称は神五郎,神左衛門

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

上井覚兼

没年:天正17.6.12(1589.7.24)
生年:天文14.2.11(1545.3.23)
戦国・安土桃山時代の武将。薩摩永吉郷(鹿児島県吹上町)地頭上井薫兼の子。母は肝付兼固の娘。初名為兼,神五郎,神左衛門と称す。官は伊勢守。大隅姶良郡上井(鹿児島県国分市)の国人で,父の代に永吉郷に移り,元服して島津貴久に仕えた。大隅廻城の初陣以下,諸方に出陣して軍功を重ね,天正1(1573)年島津義久の奏者となり鹿児島に居住。義久の信任を得て同4年には老中職に抜擢され伊勢守覚兼と称す。同8年8月には日向宮崎城主となり義久の末弟家久を補佐する傍ら,本家鹿児島の枢機にも参じた。以後肥後(熊本県),肥前(佐賀県,長崎県)にも出陣し,同14年7月筑前(福岡県)岩屋の戦いには矢石を冒して奮戦負傷,10月には豊後(大分県)に入って大友氏を攻めたが,翌年3月,豊臣秀吉の西下にあい撤退。羽柴秀長に下って薩摩伊集院に出家隠棲,一超宗咄と名乗った。『上井覚兼日記』は当時珍しい武人の記録で,戦国末期の南九州の動静を知る重要資料。

(今谷明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の上井覚兼の言及

【上井覚兼日記】より

…戦国大名島津義久の老中上井覚兼の1574‐86年(天正2‐14)のかなまじり和様漢文体の日記。27冊。…

※「上井覚兼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

上井覚兼の関連キーワードアンリルートウィヒ上井覚兼内藤信成七尾城跡中野村清介五条大橋アンリブルボン朝鳥谷敬

今日のキーワード

稀勢の里寛

1986- 平成時代の力士。昭和61年7月3日生まれ。中学卒で鳴戸部屋に入門し,平成14年3月初土俵。16年5月新十両,同年11月には18歳4ヵ月で新入幕をはたす。18年7月新三役小結,21年3月新関...

続きを読む

コトバンク for iPhone

上井覚兼の関連情報