安井仙知(読み)やすい・せんち

朝日日本歴史人物事典 「安井仙知」の解説

安井仙知(8代)

没年天保9.閏4.27(1838.6.19)
生年:安永4(1776)
江戸後期の囲碁棋士。伊豆三島(静岡県)の出身。幼いころ江戸で囲碁4家のひとつ7代安井仙知(仙角)に入門。初めは中野知得といい,この名が有名。寛政12(1800)年5段のとき跡目となり御城碁を務め始めた。文化11(1814)年に家督を継ぎ8代仙知。本因坊元丈段位も並行して昇った同時代の好敵手。ふたりの間で「元丈知得五十番碁」がある。また「ダメの妙手」と伝えられる一局も有名。両者,卓絶した技量人徳を持ち,ともに名人碁所を争わなかった。<参考文献>島村俊広『知得』(日本囲碁大系)

(谷口牧夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安井仙知」の解説

安井仙知 やすい-せんち

1776-1838 江戸時代後期の囲碁棋士。
安永5年生まれ。はじめ中野知得といった。文化11年7世安井仙知(仙角)の退隠により安井家8世をつぐ。ライバルの本因坊元丈とともに準名人8段となる。天保(てんぽう)9年閏(うるう)4月27日死去。63歳。伊豆(いず)三島(静岡県)出身。編著に「河洛余数」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の安井仙知の言及

【本因坊】より

…江戸時代,幕府の扶持(ふち)を受けた囲碁家元4家の筆頭。京都寂光(じやつこう)寺の塔頭(たつちゆう)〈本因坊〉の僧算砂(本因坊算砂)を祖とする。4世道策(本因坊道策)は布石理論をひっさげて近代碁の基礎を築き,無敵の5世道知とともに本因坊家の優位を不動のものとした。9世察元は時の6世井上春碩(しゆんせき)因碩(1707‐72)と名人位を争い,紛争をきわめた争碁に勝ち念願の名人となり,本因坊家中興の祖といわれる。…

※「安井仙知」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android