安場保和(読み)やすば・やすかず

朝日日本歴史人物事典 「安場保和」の解説

安場保和

没年:明治32.5.23(1899)
生年天保6.4.17(1835.5.14)
明治時代の官僚。地方官として活躍。初め一平と称し,のちに保和と改める。号咬菜軒。肥後(熊本)藩士安場源右衛門の子として熊本城下に生まれる。横井小楠の門下生。明治1(1868)年徴士として戊辰戦争で活躍。2年東京府大属に任じたのをはじめに,同年胆沢県(岩手県)大参事。3年酒田県(山形県)大参事。4年熊本藩少参事となり,故郷熊本において嘉悦氏房らと藩政改革,廃藩置県に努力する。大久保利通の引きにより同年大蔵大丞,租税権頭になるが,大隈重信らと意見が合わず岩倉遣外使節団に大蔵理事官兼心得として随行したが,途中単独帰国。5年福島県令,8年愛知県令。13年元老院議官。19年福岡県令・県知事。25年貴族院議員。この間,赴任地において諸産業の振興に努め,地方官会議幹事として活躍。また,日本鉄道会社の設立にも尽力する。29年男爵。30年北海道長官となるが,しばらくして辞任。<参考文献>武藤厳男編『肥後先哲偉蹟』

(佐々博雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安場保和」の解説

安場保和 やすば-やすかず

1835-1899 明治時代の官僚。
天保(てんぽう)6年4月17日生まれ。もと肥後熊本藩士。大蔵省にはいり,岩倉使節団に随行して欧米をめぐる。帰国後,福島・愛知県令や元老院議官をへて明治19年福岡県知事となり筑後(ちくご)川改修,門司築港につくす。30年北海道庁長官。貴族院議員。明治32年5月23日死去。65歳。幼名は一平。号は咬菜軒。

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