安岐城跡
あきじようあと
[現在地名]安岐町下原
伊予灘に注ぐ安岐川河口部左岸の下原のうち字本丸・天守・小丸・内堀・南堀・西出口・門口・北堀・裏門・御馬松・堀ノ内が遺称地と考えられる。「豊後国志」は田原氏の祖泰広が築城し、以後一五代に及んだという。しかし田原氏が安岐郷内に所領を得たのは貞治二年(一三六三)の三代直貞が最初であるので信用の限りでない。一三代親貫の反乱後は矢坂甚太郎某を入れて守らせたというが、これも裏付ける史料はない。文禄二年(一五九三)の大友氏改易後は豊臣秀吉の臣熊谷直陳が入るが、直陳は関ヶ原合戦で西軍につき戦死し廃城となったという。「安岐町史」によると応永(一三九四―一四二八)頃田原氏七代親幸が京泊の館を拡張して本丸を構築したといい、二の丸・三の丸は熊谷直陳の増築という。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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