日本歴史地名大系 「安朱村」の解説 安朱村あんしゆむら 京都市:山科区安朱村[現在地名]山科区安朱〈稲荷山(いなりやま)町・奥(おく)ノ田(だ)・川向(かわむかい)町・北屋敷(きたやしき)町・桟敷(さじき)町・堂(どう)ノ後(うしろ)町・中小路(なかこうじ)町・中溝(なかみぞ)町・馬場(ばば)ノ西(にし)町・馬場(ばば)ノ東(ひがし)町・東海道(ひがしかいどう)町・東谷(ひがしだに)・毘沙門堂(びしやもんどう)町・南屋敷(みなみやしき)町・屋敷(やしき)町・山川(やまかわ)町・山田(やまだ)〉北は山地で現左京区と、東も山地で現滋賀県大津市と、南は竹鼻(たけはな)、西は上野(うえの)・御陵(みささぎ)の各村と接する。北部は山地、南部は平地。もとは安祥寺(あんしようじ)村と朱雀(すじやく)村の二村からなっていたが、延宝元年(一六七三)に合併したという(宇治郡各町村沿革調)。また安祥寺上寺(かみのてら)(廃寺)が村域にあったが、安祥寺そのものは安朱村ではなく、西に隣接する御陵村にある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報