朝日日本歴史人物事典 「安芸三郎左衛門」の解説
安芸三郎左衛門
生年:生年不詳
江戸前期の土佐紙業開発者。名は家友。安芸城主安芸国虎の一族と伝えられる。安芸氏の没落後土佐国(高知県)吾川郡波川城主波川玄蕃清宗の後室養甫尼(長宗我部元親の妹)を頼り,成山(伊野町)に居住した。伊予(愛媛県)の旅人新之丞(彦兵衛ともいう)より朱善寺紙の製法を習い,さらに黄,浅黄,紫,柿,桃,萌黄の七色紙を開発した。家友は技術のもれるのを恐れ新之丞を殺したと伝える。山内一豊の入国後,給田1町と総伐畑を与えられ,御用紙方役,幡多郡代官に任じられ製紙業の発展に尽くした。七色紙は土佐藩の特産品となり,幕府へ献上された。<参考文献>寺石正路『続土佐偉人伝』,平尾道雄『土佐藩工業経済史』
(山本大)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報