ミルトン(読み)みるとん(英語表記)John Milton

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミルトン」の意味・わかりやすい解説

ミルトン
みるとん
John Milton
(1608―1674)

イギリスの詩人、思想家。シェークスピアとともにイギリス文学を代表する二大詩人の一人であるのみならず、清教徒ピューリタン)革命の渦中に巻き込まれ、革命を支持し、多くの評論を書いた。12月9日、ロンドンの富裕な清教徒的色彩の強い家庭に生まれ、将来聖職者になる意志をもち、猛烈に勉強した。しかし、聖職者になることがイギリス国教会の牧師になることを意味するとすれば、当時の国王チャールズ1世の宗教政策に反感をもつ彼としては、その意志を当然捨てなければならなかった。彼は、宗教詩人になる意志を固め、ケンブリッジ大学を出てから、神学とともに古典文学の研究に没頭した。在学中および卒業後に、『快活な人』L'Allegro、『沈思の人』Il Penserose(ともに1631年?)、『コーマス』Comus(1634年上演)、『リシダス』Lycidas(1637)などの作品を書いている。このうち『コーマス』だけは仮面劇であるが、ここには明瞭(めいりょう)に彼の清教徒的精神が現れている。

平井正穂 2015年7月21日]

自由の理念追求を課題に

1638年、大陸旅行に出発。この旅行中、彼はグロティウスガリレイに会っている。しかし、祖国における社会不安の報に接し、翌1639年には帰国した。以来、約20年間、彼の執筆活動は主として評論に向けられた。これらの著作は、公私の両面にわたるさまざまな事件を契機として執筆されたが、基本的な課題は、一貫してプロテスタント的信仰を基盤にした内なる自由の理念の追求であった。イギリス国教会が真実な内的な自由を保っていないことを『イギリスにおける教会規律の改革について』Of Reformation Touching Church-Discipline in England(1641)などにおいて論じ、自分の結婚問題を契機に、『離婚の教理と規律』Doctrine and Discipline of Divorce(1643)などにおいて離婚論を主張し、また『アレオパジティカAreopagitica(1644)などにおいて言論の自由を説いた。他方、1642年以来、革命は戦乱の激しい様相を示し始め、1649年、チャールズ1世は死刑に処せられ、イギリスは共和制となった。ミルトンは護民官クロムウェルのラテン語秘書となり、国王死刑に対するヨーロッパ各国の非難に対し、『英国民のために弁ずるの書』(1651)、『ふたたび英国民のために弁ずるの書』(1654)などをラテン語で書いて、国王死刑の正当性を主張した。1652年には過労のため失明するに至った。

 彼は、清教徒革命の完遂によって、イギリスが「新しきエルサレム」に再生することを願っていた。だが、歴史的現実は、彼の祈りとは逆の方向に発展し、1660年には国民の歓呼の声に迎えられてチャールズ2世が帰国し、「王政回復」が成立した。ミルトンは一時投獄されたが処刑は免れ、失明と失意のなかにあって、人間と神とについての思索にふけった。それが、彼の大作『失楽園』(1667)となって結実したのである。人間にとって神の意志、神の摂理とは何を意味するのか、という問題の意識は、彼の詩的想像力を駆り立て、さらに『復楽園』(1671)、『闘士サムソン』(1671)の制作へと進ましめた。晩年は比較的平和な生活を享受していたようである。1674年11月8日ロンドンに没した。

 1920年代以降になって、彼の文学と思想について激しい論争が行われてきたが、今日では彼の声価は依然不朽のものであるとする意見が圧倒的である。

[平井正穂 2015年7月21日]

『才野重雄訳『仮面劇コーマス』(1958・南雲堂)』『宮西光雄著訳『ミルトン英詩全訳集』(1983・金星社)』『平井正穂著『ミルトン』(『新英米文学評伝叢書13』1958・研究社出版)』『森谷峰雄著『ミルトンの芸術の理論的研究』上中下(1977〜2012・風間書房)』『新井明著『ミルトンの世界』(1980・研究社出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミルトン」の意味・わかりやすい解説

ミルトン
Milton, John

[生]1608.12.9. ロンドン
[没]1674.11.8. バッキンガムシャー
イギリスの詩人。ケンブリッジ大学に学ぶ。年少にして詩人を志し,『キリスト降誕の朝にあたりて』 On the Morning of Christ's Nativity (1629) ,『快活な人』L'Allegro (31) ,『沈思の人』 Il Penseroso (31) ,仮面劇『コーマス』 Comus (34) ,『リシダス』 Lycidas (37) などの名作を書いた。 1642年内乱勃発後の約 20年間は議会派の論客として活躍,言論の自由を論じた『アレオパジティカ』 Areopagitica (44) など多くの政治的,宗教的パンフレットを執筆,また不幸な結婚の経験に基づき『離婚論』 The Doctrine and Discipline of Divorce (43) を著わした。 49年以後共和政府のラテン語秘書として活躍したが,52年に失明。王政復古 (60) 後は逆境におかれたが,詩作に精進し,イギリス文学史上最大の叙事詩『失楽園』 Paradise Lost (67) をはじめ『復楽園』 Paradise Regained,『闘士サムソン』 Samson Agonistes (ともに 71) を書き,シェークスピアに次ぐイギリス最高の詩人の地位を確立した。

ミルトン
Milton

アメリカ合衆国,マサチューセッツ州東部にある住宅都市。ボストンの南に位置する。古くから水力を利用した製粉業が興ったが,その後ボストン郊外の住宅地に変貌した。 1807年創立のミルトンアカデミーなどの教育施設がある。南方郊外のブルーヒル公共保留地 (2300ha) は,スポーツ設備が充実している。人口2万 5725 (1990) 。

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