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伊達騒動 だてそうどう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊達騒動
だてそうどう

江戸時代前期,仙台 (伊達) 藩に起った御家騒動。万治3 (1660) 年藩主伊達綱宗が所行の紊乱を理由に幕府から隠居を命じられ,2歳の亀千代 (のち綱村) が家督を相続した。伊達兵部宗勝が後見役となり,藩内の進歩派,原田甲斐と結んで実権を掌握。

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デジタル大辞泉の解説

だて‐そうどう〔‐サウドウ〕【伊達騒動】

江戸初期、仙台藩伊達家に起こったお家騒動。万治3年(1660)藩主伊達綱宗不行跡のかどで幕府から隠居を命ぜられ、幼少の綱村が家督を相続。その後見役伊達兵部宗勝が家老原田甲斐宗輔らと宗家横領を企てたとして、伊達安芸宗重が幕府に訴えた。寛文11年(1671)大老酒井忠清邸での評定の席で宗重は宗輔に斬られ、宗輔も殺害された。「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」など、歌舞伎浄瑠璃の題材となった。

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百科事典マイペディアの解説

伊達騒動【だてそうどう】

1660年―1671年仙台藩伊達家に起こった御家騒動。1660年伊達綱宗が幕府から隠居を命ぜられ,亀千代(綱村)が2歳で家督を継ぎ,藩政の実権を伊達宗勝原田甲斐らが握ったが,保守派の伊達安芸らは,宗勝らの失政を幕府に訴えた。
→関連項目傾城阿波の鳴門先代萩伊達氏

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世界大百科事典 第2版の解説

だてそうどう【伊達騒動】

歌舞伎狂言《伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)》や山本周五郎の小説《樅(もみ)ノ木は残った》等で有名な仙台藩の御家騒動寛文事件ともいう。1660年(万治3)江戸の小石川堀普請に際する不行跡のとがめにより藩主伊達綱宗は隠居を命じられ,2歳の亀千代(綱村)が襲封した。叔父伊達兵部少輔宗勝,庶兄田村右京宗良それぞれ3万石を分知され後見となり,幕府国目付の毎年派遣の下に藩政が行われた。奉行奥山大学常辰が当初権勢をふるったが,兵部(宗勝)は63年(寛文3)これを罷免,幕府老中酒井忠清と姻戚関係を結び,奉行原田甲斐や側近出頭人を重用して一門以下の反対勢力を弾圧,斬罪切腹17名を含む120名余を処分した。

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大辞林 第三版の解説

だてそうどう【伊達騒動】

江戸前期に起きた、仙台藩伊達氏の御家騒動。幼藩主亀千代(綱村)の後見役伊達兵部宗勝・家老原田甲斐宗輔と、伊達安芸宗重らとの対立が激化、1671年大老酒井忠清の介入によって伊達安芸派が勝利し、兵部は土佐に流され、綱村は藩領を安堵された。奈河亀輔作「伽羅めいぼく先代萩」など、歌舞伎・浄瑠璃・講談に脚色された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊達騒動
だてそうどう

江戸時代、寛文(かんぶん)年間(1661~73)に起きた仙台藩の騒動。寛文事件ともいう。1660年(万治3)3代藩主伊達綱宗(つなむね)は不行跡のかどで幕府から逼塞(ひっそく)を命ぜられ、2歳の長男亀千代(かめちよ)(綱村)が家督相続、綱宗の叔父伊達兵部少輔宗勝(ひょうぶしょうゆうむねかつ)と綱宗の庶兄田村右京宗良(うきょうむねよし)が62万石のうちからそれぞれ3万石を給され後見人に指名された。初めは家老(奉行(ぶぎょう))が藩政を担当していたが、しだいに宗勝が実権を握り、反対勢力を多数処分した。その間、幼君亀千代に対する置毒事件が起こるなど藩内は動揺しだした。宗勝は腹心を登用し要職につけ、家老の権限を弱め専制体制をとった。だが、伝統と門閥を重んじる他の重臣はこれを嫌悪し、宗勝は孤立していった。こうしたなかで、一門伊達安芸宗重(あきむねしげ)(涌谷(わくや)2万石)と一門伊達式部宗倫(しきぶむねとも)(登米(とめ)1万7000石)との間に知行(ちぎょう)地の境界紛争が生じた。この紛争に対する藩の裁定を不公正とする伊達安芸はこれを幕府に訴え、宗勝の政治に対する積年の不満を晴らそうとした。幕府の審理は1671年(寛文11)2月開始された。ところが、3月27日大老酒井忠清(ただきよ)邸での審理が終わったころ、家老原田甲斐宗輔(かいむねすけ)が突然安芸に斬(き)り付け即死させ、甲斐もまた斬られその夜死亡した。兵部ら関係者は他家御預けなど処分を受け、甲斐一家も切腹を命ぜられ断絶した。綱村の伊達62万石は確認され後見も解除された。歌舞伎(かぶき)『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』に取り上げられるなど騒動の意義については諸説ある。[渡辺信夫]
『大槻文彦著『伊達騒動実録』(1909・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の伊達騒動の言及

【原田甲斐】より

…仙台藩奉行(家老)。伊達騒動(寛文事件)で有名。名は宗輔。…

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