カッシーニ(読み)かっしーに(英語表記)Cassini

翻訳|Cassini

デジタル大辞泉 「カッシーニ」の意味・読み・例文・類語

カッシーニ(Cassini)

NASAナサ(米国航空宇宙局)とESAイーサ欧州宇宙機関)の開発した土星探査機。1997年、小型探査機ホイヘンスとともに打ち上げられた。土星軌道到着後、衛星や環の詳細な観測を行い、北極に巨大な渦を発見。2017年、土星の大気に突入させて、運用が終了した。

カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini)

[1625~1712]イタリア天文学者。のち、フランスに帰化。木星の自転や土星の衛星を発見、また土星の環の精密測定を行ってカッシーニの空隙くうげきを発見した。パリ国立天文台の初代台長。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カッシーニ」の意味・わかりやすい解説

カッシーニ(惑星探査機)
かっしーに
Cassini

NASA(ナサ)(アメリカ航空宇宙局)が1997年10月にタイタンⅣ型ロケットにより打ち上げた史上初の土星探査機。プロジェクト名はカッシーニ・ホイヘンスCassini-Huygens。土星本体を探査する「カッシーニ」(NASA)と、土星の最大の衛星タイタン(チタン)に着陸する「ホイヘンス」(ESA(イーサ)、ヨーロッパ宇宙機関)の二つの探査機が同時に打ち上げられた。打上げ後、金星、地球、木星の順にスイングバイ(天体の万有引力を利用して衛星の加速、減速、軌道変更を行う技術)を行い、2004年7月に土星の周回軌道に乗った。同年12月にはタイタンに接近し、翌2005年1月に「ホイヘンス」を切り離してパラシュート降下させて、着陸に成功した。

 「カッシーニ」本体は長さ約6.7メートル、最大直径4メートル、打上げ時の質量約5700キログラム(「ホイヘンス」を含む)。土星は太陽から遠く、太陽電池パネルで安定した発電ができないため、原子力電池(放射性同位体熱電対)が搭載された。「ホイヘンス」は、直径約2.7メートルの円盤型をした質量約320キログラムの着陸機で、タイタンの大気組成や風速などを観測する。「カッシーニ」には12種類の観測機器(プラズマ計測器、コズミック・ダスト計測器、赤外線計測装置、イオンおよび中性子質量分析器、画像化サブシステム、磁力計磁気圏画像化装置、レーダー、電磁波およびプラズマ科学装置、電磁波科学サブシステム、紫外線画像化装置、可視および赤外線マッピング装置)が搭載された。カッシーニが土星軌道に投入されてから、タイタンが地球のように雨や川、湖、海をもつことがわかった。さらに土星の衛星を7個発見し、写真を33万2000枚撮影するなど多くの成果をあげた。「ホイヘンス」はタイタンの着陸地点上空8キロメートルで、解像度20メートルのタイタンの映像を撮影した。その後タイタンに着陸し、大気の組成、風速、気温、気圧等を観測した。搭載機器はエアロゾル計測器、画像カメラ、スペクトル放射計測器、ドップラー風観測器、ガス・クロマトグラフィーと質量スペクトロメーター、大気構成計測装置、表面計測科学パッケージである。

 「カッシーニ」による周回探査は、2017年9月にカッシーニ本体を土星の大気圏に突入させて運用を終了した。

 なお、カッシーニの名はフランスの天文学者ジョバンニ・カッシーニに、ホイヘンスの名はオランダの物理学者クリスチャン・ホイヘンスに由来する。

[森山 隆 2017年9月19日]



カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini)
かっしーに
Giovanni Domenico Cassini
(1625―1712)

イタリア系フランス人の天文学者。カシニともいう。ニース近郊に生まれ、ジェノバで聖職修業中に、ガリレイの弟子カバリエリに師事して数学・天文学を修得し、1650年25歳でボローニャ大学教授に任ぜられた。惑星観測の業績でピカールの推挙によりルイ14世の招きを受け、1669年に新設のパリ天文台初代台長に就任した。その後、子孫4代にわたり同天文台長を襲職、一門で学界を指導した。1665年に木星の大赤斑(せきはん)を発見、その移動による木星自転周期を確定し、1666年には土星の自転をも検出、1668年には木星のガリレオ衛星4個の運行表を作成した。この表は航海上の経度算定の必要資料となり、また、レーマーの光速測定に基礎手段を供した。パリ転任後、1671年にヤペトゥス、1672年にレア、1684年にディオネとテチスと土星の4衛星を次々に発見した。また1672年にはギアナに出張中のリシェJean Richer(1630―1696)との共同により火星接近の地心視差を測定した。この値は天文単位距離に7%まで近似した。1673年フランスに帰化。1675年に土星の環(わ)の精密測定を行い、A環とB環との間に「カッシーニの空隙(くうげき)」を発見し、環の本体は粒塊の集合組織であることを推定したが、これはのちにマクスウェルの理論と、キーラーJames Edward Keeler(1857―1900)のスペクトル観測によって確かめられた。そのほか黄道光、黄道傾斜、月の秤動(ひょうどう)を観測した。

[島村福太郎]

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知恵蔵 「カッシーニ」の解説

カッシーニ

米欧共同開発の土星探査機。1997年10月、米フロリダ州ケープカナベラル空軍基地から打ち上げられ、プロジェクトには米航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関などが総額約4300億円を投じた。名称は、土星の四つの衛星を発見するなど惑星観測に功績を残したイタリア出身の天文学者、ジョヴァンニ・カッシーニ(1625~1712年)に由来している。全長約6.7メートル、打ち上げ時の重さは約5.7トン。プラズマ分光器、宇宙ダストアナライザー、磁力計など10種以上の観測機器のほか、直径約2メートルの小型探査機「ホイヘンス」を搭載した。
2004年7月、地球から約14億キロメートル離れた土星の軌道に入る。同年12月に分離されたホイヘンスは、05年1月、土星最大の衛星タイタンへの着陸に成功した。ホイヘンスが撮影した気象現象や地形の画像から、タイタンではメタンの雨が降って湖や川ができ、蒸発して雲ができるという循環が起きていることが裏付けられ、生命が生存できる環境である可能性が示された。
カッシーニは当初、08年まで運用の予定だったが、2度延長して観測を続け、土星南極側のオーロラや、北極側の巨大な台風、土星の輪や表面のしま模様の詳細な画像などを地球に送信した。地球への通信には約1時間半かかる。
最大の成果の一つは、15年、土星の衛星・エンケラドスに約50キロまで接近した際のデータから得られた。エンケラドス表面を覆う厚さ数キロの氷の下から噴き出すガスを採取し、機体に積んだ装置で分析したところ、約98%を占める水の他、二酸化ケイ素の微粒子(ナノシリカ)が含まれていたことから、海底熱水噴出孔に似た構造がエンケラドスの内部に存在することを裏付け、エンケラドスに生命が存在する可能性が示された。地球の最初の生命は、熱水噴出孔の周囲で誕生したと考えられており、現在も硫化水素やメタンなどを利用する微生物を生産者とする生態系が形成されている。エンケラドス表面から採取したガス中には、水素や二酸化炭素、メタンなども見つかっている。
カッシーニの観測により、土星の輪や衛星に関する理解も進んだ。それまで、輪の粒子は一様に分布すると考えられていたが、粒子の存在にはばらつきがあり、大きな質量をもつことが分かった。土星から受ける重力が弱まると、粒子が集まって衛星が形作られたとみられることから、輪や衛星の起源や形成過程が明らかになる可能性がある。
カッシーニの電源は原子力(プルトニウム)電池で、燃料切れが間近に迫った17年4月には、土星と最も近い輪の間をくぐり抜ける軌道に入り、土星大気の成分などを調べていたが、軌道調整ができなくなる恐れが出てきたことから、運用の終了が決定された。エンケラドスとタイタンには生命が存在する可能性があり、カッシーニが衝突すれば、機体に付着している可能性がある地球の微生物などが持ち込まれることやプルトニウムによる汚染の影響も想定し、NASAはカッシーニを土星大気に突入させて、消滅させる方法を採用した。日本時間17年9月12日早朝、カッシーニは、研究チームが「別れのキス」と呼ぶ最後のタイタン接近を行った。その後、タイタンの引力を利用して軌道を修正し、日本時間15日午後7時半ごろ土星の上空約1900キロの大気層に突入を開始した。通信が途絶える直前まで、土星の輪が写った画像や大気の成分のデータを地球に送り、時速12万キロ以上で落下して燃え尽きた。13年間にわたり航行した距離は約80億キロ、土星を294周し、45万枚以上の画像を撮影して地球に送ってきたとされる。

(葛西奈津子 フリーランスライター/2017年)


カッシーニ

2004年7月に土星の周回軌道に到達したNASA/ESA共同の探査機。母機のカッシーニは土星の大気・磁気圏と共に土星のリングを徹底して観測している。すでに衛星タイタンにESA製の探測機ホイヘンスを投下した。ホイヘンスは、地球の原始大気に似ているといわれるタイタンの大気中を減速しながら落下し、地表に軟着陸して写真を送ってきた。

(的川泰宣 宇宙航空研究開発機構宇宙教育センター長 / 2007年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カッシーニ」の意味・わかりやすい解説

カッシーニ
Cassini, Gian Domenico

[生]1625.6.8. ジェノバ共和国,ペリナルド
[没]1712.9.14. フランス,パリ
イタリアの天文学者。1673年フランスに帰化。フランス語では Jean-Dominique Cassini。子孫は 4代にわたってパリ天文台台長を務めた天文学一家として知られる。1650年ボローニャ大学教授。1666年に木星火星自転周期の正確な決定を行ない,1668年木星の衛星の精密な位置観測の結果をまとめ上げ,オーレ・C.レーマーの有名な光の速度の計算 (1675) に貴重な資料を与えた。1669年ルイ14世に招かれてパリに移り,王立科学アカデミーに迎えられた。1671年に新設のパリ天文台初代台長に就任。土星の四つの衛星の発見 (1671,1672,1684) ,土星の環に関する観測研究,とりわけカッシーニの間隙の発見,黄道光の発見など多くの業績を上げた。また 1683年にはパリ付近での子午線の弧の長さの測定を行ない,その結果から地球の形は縦に長いという結論を出した。地動説は認めたものの,惑星軌道に関してはヨハネス・ケプラーの楕円軌道(→ケプラーの法則)を否定し,独自の卵形軌道を主張するなど,理論的には保守的な立場をとり続けたが,カッシーニの残した多くの観測結果は,17~18世紀の天文学に貴重な貢献をなした。

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