日本歴史地名大系 「安那郡」の解説 安那郡やすなぐん 広島県:備後国安那郡「国造本紀」に八千足尼を吉備穴国造としたことがみえ、「日本書紀」景行天皇二七年一二月条に日本武尊が「吉備に到りて穴海(あなのうみ)を渡る」とあり、安閑天皇二年五月条には婀娜(あな)国に屯倉が置かれたことがみえる。また平城宮出土木簡には「備後国安奈郡」とするものもみえる。穴の地は現在の神辺(かんなべ)平野を中心として福山市街地辺りをさしたのであろう。本来は「穴国」に由来する「穴郡」であったが、奈良時代の初めから佳字を用いて「安那」「安奈」とし、のちヤスナと読んだものと考えられる。「安那」は「和名抄」東急本郡部に「夜須奈」と訓じ、「延喜式」(九条家本)民部省にヤスナ、同書(武田本)神名帳にアナと傍訓を付す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報