宍倉城跡(読み)ししくらじようあと

日本歴史地名大系 「宍倉城跡」の解説

宍倉城跡
ししくらじようあと

[現在地名]出島村宍倉

天王丁てんのうちようを中心にした地にあり、本丸跡の面積は約七千平方メートル。城の形式は堀・土塁で防備を固めた掻上城。永享(一四二九―四一)の頃は野田遠江守が居住したと伝えるが(出島村史)、「関八州古戦録」に「常州宍倉城主菅谷隠岐守」とあり、文亀年間(一五〇一―〇四)には小田氏の家臣菅谷隠岐守の居城であった。菅谷氏はさか牛渡うしわた大和田おおわだ男神おがみ成井なるい岩坪いわつぼ加茂かも下軽部しもかるべ・上軽部・三ッ木みつぎ柏崎かしわざき安食あんじき真木内まきのうち・宍倉の一四ヵ村を支配したと伝える(水府志料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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