宝地村(読み)ほうじむら

日本歴史地名大系 「宝地村」の解説

宝地村
ほうじむら

[現在地名]長岡市宝地町・希望が丘きぼうがおか一―三丁目

高田たかだ往来沿いに開かれた集落。往来を東に進めば喜多きた村、西に進めば上除かみのぞき村。才津さいづ村の枝郷で、元禄郷帳に高二六一石四斗余の村としてみえる。旧高旧領取調帳では高二八八石六斗余。除地が泉蔵せんぞう寺・諏訪社にある。真言宗豊山派の高亀山泉蔵寺はもと観音院と称し、福生山勢至せいし院、少し隔てて秘密山阿弥陀院(吉祥寺)が並んであり、ともに伝教大師の開基で、自作の三仏を本尊に分ち、その本尊名を寺号としたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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