宝寿院跡(読み)ほうじゆいんあと

日本歴史地名大系 「宝寿院跡」の解説

宝寿院跡
ほうじゆいんあと

[現在地名]右京区嵯峨朝日町

車折くるまさき神社の南にあった天龍寺のもと塔頭。車折神社は当院の境内にあったもので、嵯峨大指図に「在鹿王院巽今河端村従道北也」とある。応安年中(一三六八―七五)に月舟を開山とし、舟橋(清原)家の墓所として建立、瑞雲山と称した。「康富記」文安元年(一四四四)一〇月二九日条に「常宗(良賢)禅門十三回之正忌日也、(中略)昼詣嵯峨塔頭宝寿院、昨日安置□□□(之木像カ)拝、其後詣墳墓」とみえ、このとき清原良賢は従三位を追贈された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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