〈京都・山城寺院神社大事典〉
寺地は嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が承和年間(八三四―八四八)に営んだ
新寺造立を足利尊氏・直義に説いたのは夢窓疎石と思われる(太平記)。夢窓は後醍醐天皇の勅命で元弘三年(一三三三)京都南禅寺に再住、建武二年(一三三五)一〇月には勅旨により
同月一三日には早くも「暦応資聖禅寺」と年号を冠した寺号が決まり、夢窓宛の院宣が発せられている。しかしこれは旧仏教側の反発もあり、同四年七月霊亀山天龍資聖禅寺と改められた(直義の瑞夢、金龍・銀龍の話が付与されて天龍の由来とされた)。
「造営記」によると、暦応三年四月二一日仏殿・僧堂・庫裏・法堂・山門の木作始め、同四年七月一三日曳地が行われ、尊氏・直義以下有力武将・幕府奉行人等多数が推参した。康永元年(一三四二)三月二七日礎始、同七月二八日木引、同八月三日立柱、同一一月二二日本尊釈迦三尊像御衣木加持、同一二月二日上棟、同一二月二三日鎌倉円覚寺に準じ五山第二位に座位が定められた。そして翌二年中に仏殿・山門・法堂・寮舎・廊などが完成した。同三年一月後醍醐天皇の霊庇廟が造られ(天龍紀年考略)、天龍寺は約五年でほぼその全容がなった。「太平記」巻二四は「仏殿・法堂・庫裏・僧堂・山門・門・鐘楼・方丈・浴室・輪蔵・雲居庵・七十余ノ宇寮舎・八十四門ノ廊下マデ、不日ノ経営事成テ、奇麗ノ粧交ヘタリ」と述べる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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