宝木用水
たからぎようすい
安政二年(一八五五)仁良塚新田庄屋岩崎長左衛門および足次新田庄屋富蔵らにより、徳次郎用水の取水口より新堀開削工事が着手され、同六年竣工した。田川と姿川の間の台地に開かれた西原一〇ヵ村新田を経て、宇都宮町の西部、松原地区から滝ノ原・江曾島へ南流する農業用水。安政六年の堀浚諸入用掛取調帳(山川渉文書)によると、同年四月二九日より六月三日までに黒鍬人足六九四人三分、賃金二一両二分二朱と銭四八六文、五月六日より六月五日までの大工手間七二人、金二両一分、ほかに白米・味噌、材料(松・栗丸太・杉材など)など、費用は金四〇両とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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