宝田町(読み)たからだちよう

日本歴史地名大系 「宝田町」の解説

宝田町
たからだちよう

[現在地名]千代田区皇居外苑こうきよがいえん

明治五年(一八七二)に成立。元千代田もとちよだ町の南、祝田いわいだ町の北に位置し、西を内堀、東を馬場先ばばさき堀に限られる。南東部には馬場先門がある。古くは宝田村の内で、江戸城築城により住民は日本橋に移転し、徳川家康の江戸入部後に伝馬役を勤めた由緒から小伝馬こでんま(現中央区)と称した(新編千代田区史)。江戸時代は西丸下にしのまるしたまたは馬場先御門内ばばさきごもんないと通称。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む