本多忠勝(読み)ホンダタダカツ

精選版 日本国語大辞典 「本多忠勝」の意味・読み・例文・類語

ほんだ‐ただかつ【本多忠勝】

  1. 江戸初期の大名。家康に従い五十余度の合戦活躍。徳川氏創業の功臣として、江戸入府のとき上総国大多喜城を与えられ、のち伊勢国桑名城の城主となる。井伊直政酒井忠次榊原康政とともに徳川四天王の一人。天文一七~慶長一五年(一五四八‐一六一〇

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「本多忠勝」の意味・わかりやすい解説

本多忠勝 (ほんだただかつ)
生没年:1548-1610(天文17-慶長15)

戦国末期~江戸初期に徳川家康に仕えた武将。酒井忠次,榊原康政,井伊直政とともに徳川四天王と呼ばれ,徳川氏譜代家臣団の最上層を形成した。父は忠高,母は植村新六郎氏義の女。幼名鍋之助,通称平八郎。1560年(永禄3)尾張大高城の兵糧入れが初陣。武功により頭角をあらわし,66年寄騎(よりき)50人余を付属された。以後武田信玄との諸戦で勇戦し,信玄の近習小杉左近はその武勇を〈家康に過ぎたるものが二つあり唐の頭に本多平八〉とうたったという。1590年(天正18)家康の関東転封時の知行割りでは,上総大多喜10万石を領した。当時すでに酒井忠次は引退していたので,井伊直政(上野箕輪(みのわ)12万石),榊原康政(上野館林10万石)とともに三人衆とも呼ばれた。1601年(慶長6)伊勢国桑名10万石に転じた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「本多忠勝」の意味・わかりやすい解説

本多忠勝
ほんだただかつ
(1548―1610)

徳川家康に仕えた武将。松平氏発祥のころからの譜代(ふだい)の家柄で、三河(愛知県)の生まれ。代々平八郎を通称。父忠高(ただたか)は織田信広(おだのぶひろ)を安城(あんじょう)城に攻めて討ち死に。ときに忠勝は2歳。13歳のとき1560年(永禄3)松平元康(もとやす)(後の家康)の尾張(おわり)(愛知県)大高(おおたか)城への兵粮(ひょうろう)搬入に従ったのを初陣として、以後57回の戦いに参加しながら一度も手傷を受けなかったが、その勇猛ぶりは、72年(元亀3)武田信玄(しんげん)との合戦のあとで「家康に過ぎたるものが二つあり、唐(から)の頭(かしら)に本多平八」と敵にはやされるほどであった。84年(天正12)長久手(ながくて)の戦いでの武者ぶりも著名。「徳川四天王」の一人とされる。88年従(じゅ)五位下中務大輔(なかつかさたゆう)。90年上総(かずさ)(千葉県)大多喜(おおたき)城主(10万石)。1601年(慶長6)伊勢(いせ)(三重県)桑名(くわな)に移封となったが、大多喜城は次男忠朝(ただとも)に与えられた。慶長(けいちょう)15年10月18日桑名で没。墓は同地の浄土寺(桑名市清水町)にある。

[高木昭作]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本多忠勝」の意味・わかりやすい解説

本多忠勝
ほんだただかつ

[生]天文17(1548).三河
[没]慶長15(1610).10.18. 桑名
安土桃山時代の武将。忠高の子。通称は平八郎。幼少から徳川家康に仕え,しばしば戦功を立てた。 50回余の合戦に参加し,特に天正3 (1575) 年の長篠の戦い,同 12年の小牧・長久手の戦いには大功を立てた。同 16年家康に従って上洛した際,中務大輔に任じられた。同 18年8月家康が関東に入ると,上総大多喜城1万石を与えられ,慶長5 (1600) 年の関ヶ原の戦いでは岐阜城を陥れ,進んで関ヶ原に戦って功を立てた。同6年伊勢桑名に 10万石を与えられた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠勝」の解説

本多忠勝 ほんだ-ただかつ

1548-1610 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天文(てんぶん)17年生まれ。本多忠高の長男。徳川家康につかえる。五十数回の戦いにでて一度も傷をうけなかったという歴戦の勇者で,徳川四天王のひとり。天正(てんしょう)18年上総(かずさ)(千葉県)大多喜に10万石を領し,慶長6年伊勢(いせ)(三重県)桑名藩主本多家初代。10万石。慶長15年10月18日死去。63歳。三河(愛知県)出身。通称は平八郎,中務大輔。
【格言など】武芸文学をするにも,忠義を心掛け天下の難を救わんと志すべきなり(遺書)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「本多忠勝」の解説

本多忠勝
ほんだただかつ

1548〜1610
江戸初期の譜代大名
通称平八郎。三河(愛知県)の人。徳川家譜代の臣で,井伊直政・榊原 (さかきばら) 康政・酒井忠次とともに徳川四天王の一人。家康の江戸入府後,上総 (かずさ) (千葉県)大多喜城主,のち伊勢(三重県)桑名城主となった。勇猛な性格で,主として軍事面で家康を支えた。『本多平八郎絵姿屛風』は若き忠勝を描いたというが確証はない。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

一度利用した製品を捨てずにそのまま再使用すること。ごみの削減に重要だとされる「3R」の一つで、衣類・服飾品や家電などさまざまな品目が取り扱われている。リユース商品の専門店やイベント、フリーマーケット...

リユースの用語解説を読む