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稲葉正則 いなば まさのり

美術人名辞典の解説

稲葉正則

江戸前期の大名。小田原藩第二代藩主。正勝の次男、祖母は春日局。幼名は鶴千代。通称は美濃守。父正勝の歿後遺領を継承し、のち老中職に就任する。寛永10年の大地震後の藩内復興、城下町の整備などを行ない藩の基を築いた。片桐石州に茶を学ぶ。また黄檗隠元と交流し黄檗宗を外護した。元禄9年(1696)歿、74才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

稲葉正則 いなば-まさのり

1623-1696 江戸時代前期の大名。
元和(げんな)9年6月2日生まれ。稲葉正勝の子。4歳で母と死別,祖母の春日局(かすがのつぼね)にそだてられる。寛永11年相模(さがみ)(神奈川県)小田原藩主稲葉家2代となる。万治(まんじ)元年から22年間老中をつとめ,2度の加増をうけて11万石を領した。領内の総検地を実施。紹太(しょうたい)寺をひらき,黄檗(おうばく)宗の鉄牛道機を開山にむかえた。元禄(げんろく)9年9月6日死去。74歳。号は泰憲,泰翁,潮信軒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

稲葉正則

没年:元禄9.9.6(1696.10.1)
生年:元和9(1623)
江戸前期の相模国小田原藩(小田原市)藩主。江戸生まれ。通称は幼名鶴千代,侍従に任ぜられる。父は正勝。4歳のとき母が死去,以後祖母春日局の許で養育された。寛永11(1634)年父が死去,遺領8万5000石を継ぐ。万治1(1658)年老中となる。寛文3(1663)年1万石の加増。延宝8(1680)年老中を辞職したが,その功により1万5000石を加増され,計11万石を領した。天和3(1683)年隠居。寛永10年の大地震により荒廃した城下および小田原城の復興,藩政の整備,確立に努め,小田原藩の基礎を築く。しかし,一方で財源確保のために検地を行い年貢増徴を計ったが,下田隼人の越訴事件を招いた。

(小柴良介)

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世界大百科事典内の稲葉正則の言及

【小田原藩】より

…相模国(神奈川県)足柄下郡小田原に藩庁を置いた譜代中藩。1590年(天正18)大久保忠世が小田原4万石を領したのに始まり,忠世,忠隣(ただちか)の2代に検地の実施,酒匂(さかわ)川大口堤の修築,酒匂堰の開削等に意を注いだが,1614年(慶長19)忠隣改易によって城は番城,領地は幕府代官が預かった。その後阿部正次が一時在城した後,32年(寛永9)老中稲葉正勝が下野国真岡より移封(8万5000石),その子正則が老中のかたわら藩領経営に全力をあげ,小田原藩政の基礎を築いた(10万3000石,後11万3000石)。…

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