朝日日本歴史人物事典 「稲葉正則」の解説
稲葉正則
生年:元和9(1623)
江戸前期の相模国小田原藩(小田原市)藩主。江戸生まれ。通称は幼名鶴千代,侍従に任ぜられる。父は正勝。4歳のとき母が死去,以後祖母春日局の許で養育された。寛永11(1634)年父が死去,遺領8万5000石を継ぐ。万治1(1658)年老中となる。寛文3(1663)年1万石の加増。延宝8(1680)年老中を辞職したが,その功により1万5000石を加増され,計11万石を領した。天和3(1683)年隠居。寛永10年の大地震により荒廃した城下および小田原城の復興,藩政の整備,確立に努め,小田原藩の基礎を築く。しかし,一方で財源確保のために検地を行い年貢増徴を計ったが,下田隼人の越訴事件を招いた。
(小柴良介)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報