宮古郡
みやこぐん
一八九六年(明治二九年)宮古諸島に成立した郡。郡域は那覇から南西に約三〇〇キロ隔てた海域に浮ぶ宮古島を中心に八つの島嶼からなる。古琉球では大宮古間切あるいは宮古島と総称された。八重山とともに太平山・先島ともよばれ、のち太平山は宮古のみをさすようになった。平良・下地・砂川の三間切に多良間島(水納島を含む)の四つの行政区に分れ、三間切頭を中心とする在地役人により行政が執られた。慶長一四年(一六〇九)の薩摩鹿児島藩侵入後、崇禎二年(一六二九)からは首里王府から派遣された在番が指揮監督に当たった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 