多良間村
たらまそん
面積:二一・八九平方キロ
宮古島と石垣島のほぼ中間に位置する。南の多良間島と北の水納島の両島からなる。南は太平洋、北は東シナ海に面している。県道の多良間―多良間港線・塩川―仲筋線が通る。古琉球以来宮古(宮古島)のうちであるが、近世には宮古三間切のいずれにも属さない特別行政区であった。明治一二年(一八七九)の廃藩置県に伴い沖縄県多良間島となり、一八九六年宮古郡に所属した。一九〇八年の沖縄県及島嶼町村制施行により仲筋・塩川・水納の三村はそれぞれ字となり、平良村に属した。しばらくして分村運動が起き、一三年(大正二年)二月一四日三字は平良村から分離、多良間村が誕生した。初代村長に平良村下里(現平良市)出身の佐久田昌章が官選で就任、収入役には同所出身の下地恵邑が就任した。役場は島内では民間初の瓦葺であった下地宅(ナガヤマヤー)に置かれ、初の議会は八人で発足した。村政の合理的な運営のため仲筋・塩川両字はそれぞれ方位によって子・寅・丑・申の四つに区画、それぞれテイー(手)と称した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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多良間村
(沖縄県宮古郡多良間村)
「日本で最も美しい村」指定の地域遺産。
多良間村は、宮古島と石垣島とのほぼ中間に位置する。面積19.75k【m2】の多良間島と、面積2.133k【m2】の水納島2島からなる。琉球王国の中継貿易で栄えた航海上の要所。本村の基幹産業はさとうきびを中心にした農業で、畜産業も肉牛を中心に盛んに行われている
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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