宮城能造(読み)ミヤギ ノウゾウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「宮城能造」の解説

宮城 能造
ミヤギ ノウゾウ


職業
琉球舞踊家 琉球芸能家

専門
組踊

肩書
宮城流家元,宮城能造舞踊研究所師匠,伝統組踊保存会会長

生年月日
明治39年 12月20日

出生地
沖縄県 首里赤平

学歴
那覇尋常高小補修科卒

経歴
三味線の名手だった父が廃藩後、旧士族が新設した首里演芸場の地謡になった縁で、6歳の時に沖縄独特の楽劇組踊(くみおどり)の子役として初舞台を踏む。7歳で三線も習い始める。その後沖縄演劇俳優として独り立ちし、名女形としてその艶をうたわれた。竹劇団団長、琉球舞踊宮城流家元。昭和47年“組踊”が国の重要無形文化財総合指定に認定された。57年から伝統組踊保存会会長。

所属団体
沖縄伝統舞踊協会(会長)

受賞
黄綬褒章〔昭和47年〕,勲五等双光旭日章〔昭和54年〕 伝統文化ポーラ賞(第7回)〔昭和62年〕

没年月日
平成1年 11月5日 (1989年)

家族
長男=宮城 美能留(琉球舞踊家),孫=宮城 早苗(琉球舞踊家)

伝記
ぜんぶ芸のはなし―名人上手十八話 織田 紘二,中嶋 典夫 編著(発行元 淡交社 ’05発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「宮城能造」の解説

宮城 能造
ミヤギ ノウゾウ

大正・昭和期の琉球舞踊家,琉球芸能家 宮城流家元;宮城能造舞踊研究所師匠;伝統組踊保存会会長。



生年
明治39(1906)年12月20日

没年
平成1(1989)年11月5日

出生地
沖縄県首里赤平

学歴〔年〕
那覇尋常高小補修科卒

主な受賞名〔年〕
黄綬褒章〔昭和47年〕,勲五等双光旭日章〔昭和54年〕,伝統文化ポーラ賞(第7回)〔昭和62年〕

経歴
三味線の名手だった父が廃藩後、旧士族が新設した首里演芸場の地謡になった縁で、6歳の時に沖縄独特の楽劇組踊(くみおどり)の子役として初舞台を踏む。7歳で三線も習い始める。その後沖縄芝居役者として独り立ちし、名女形としてその艶をうたわれた。竹劇団団長、琉球舞踊宮城流家元。昭和47年“組踊”が国の重要無形文化財総合指定に認定された。57年から伝統組踊保存会会長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮城能造」の解説

宮城能造 みやぎ-のうぞう

1906-1989 大正-昭和時代の舞踊家。
明治39年12月20日生まれ。6歳で初舞台。15歳ごろから沖縄芝居の女形として活躍した。昭和47年重要無形文化財(総合指定)「組踊(くみおどり)」の技能保持者となる。琉球舞踊宮城流家元。平成元年11月5日死去。82歳。沖縄県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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