20世紀日本人名事典 「宮崎繁三郎」の解説 宮崎 繁三郎ミヤザキ シゲサブロウ 大正・昭和期の陸軍中将 生年明治25(1892)年1月4日 没年昭和40(1965)年8月30日 出生地岐阜県 学歴〔年〕陸大〔大正13年〕卒 経歴上海特務機関長、第26旅団長などを経て、昭和19年中将、第54師団長。この間、14年の“ノモンハン事件”では歩兵第16連隊長として第23師団救助のため出動。また19年の“インパール作戦”においては第31師団長(当時少将)として終始善戦しながら各部隊の撤退に腐心し、味方軍の損耗を最小限に食い止めた。著書に「吾が輩はチビ公である」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮崎繁三郎」の解説 宮崎繁三郎 みやざき-しげさぶろう 1892-1965 大正-昭和時代前期の軍人。明治25年1月4日生まれ。昭和19年第三十一師団歩兵団長としてインパール作戦に参加し,宮崎支隊3000をひきいてインド東部のコヒマ急襲に成功。上層部の作戦失敗により支隊は敵中におきざりにされたが,苦闘の退却戦に統率力を発揮した。のち第五十四師団長。陸軍中将。昭和40年8月30日死去。73歳。岐阜県出身。陸軍大学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by