宮林 菫哉
ミヤバヤシ キンサイ
明治・大正期の俳人
- 生年
- 明治20(1887)年5月14日
- 没年
- 大正10(1921)年2月23日
- 出生地
- 長野県埴科郡寺尾村
- 本名
- 宮林 弥作
- 経歴
- 明治末から大正中期にかけて活躍。アナーキーな反面、社会主義思想もあり、その農民小説「本流へ」を掲載した俳誌「骨」は発禁となっている。後半生は放浪のうちに終わった。句集に「冬の土」(大正6年)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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宮林菫哉 みやばやし-きんさい
1887-1921 明治-大正時代の歌人,俳人。
明治20年5月14日生まれ。短歌を北原白秋にまなび,「地上巡礼」「曼陀羅(まんだら)」などに投稿。俳句は河東碧梧桐(へきごとう)の新傾向運動に賛同。社会主義的思想をいだき,小説「本流へ」を掲載した俳誌「骨」は発禁となった。大正10年2月23日死去。35歳。長野県出身。本名は弥作。歌人名は赤野陽一。別名に田川弥吉。句集に「冬の土」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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