宮発太郎 みや-はつたろう
?-? 江戸時代後期の水泳師範。
武蔵(むさし)忍(おし)藩(埼玉県)の医師の子。紀伊(きい)和歌山藩で野島流の遊泳術をまなぶ。嘉永(かえい)5年(1852)伊勢(いせ)津藩の師範となり,阿漕が浦に道場をひらく。その泳法は観海流とよばれ,安政3年山田省助,種村順次郎兄弟に免許をあたえたのち,津藩を去った。名は信徳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の宮発太郎の言及
【水泳】より
…横体のあおり足の泳法を用いる。(9)観海流 比較的新しく,1853年(嘉永6)武州浪人の宮発太郎が津藩に招かれて創始したもので,明治期に軍隊,学校で盛んになった。蛙足平泳(かえるあしひらおよぎ)の系統。…
※「宮発太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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