日本大百科全書(ニッポニカ)「信徳」の解説
信徳
しんとく
(1633―1698)
江戸前期の俳人。伊藤氏。本姓は山田氏か。通称助左衛門。別号梨柿園(りしえん)、竹犬子。京都の人。裕福な商家の出身で、初め貞門(ていもん)の高瀬梅盛(ばいせい)に師事したが、延宝(えんぽう)(1673~81)初年から談林(だんりん)派の高政(たかまさ)や常矩(つねのり)らに接して、談林風に傾倒。1677年(延宝5)には江戸へ下って芭蕉(ばしょう)らと交流し『江戸三吟』を刊行し、また81年(天和1)には『七百五十韻』など新風体を模索する注目すべき撰集(せんしゅう)を刊行するなど、芭蕉らと歩調をあわせて蕉風俳諧(しょうふうはいかい)胎動の契機をなした。以後も芭蕉らとの交流を続け、元禄(げんろく)期(1688~1704)には言水(ごんすい)、如泉(じょせん)、和及(わぎゅう)、我黒(がこく)らとともに京俳壇で重きをなすが、のちには蕉門との間は疎遠になった。編著『京三吟』『誹諧五(はいかいいつつ)の戯言(たわごと)』『胡蝶(こちょう)判官』『雛形(ひながた)』など。
[雲英末雄]
雨の日や門提(かどさげ)て行(ゆく)かきつばた
『荻野清編『元禄名家句集』(1954・創元社)』