現存する日本泳法の一流派。1854年(安政1)に、忍(おし)藩(埼玉県)藩士宮発太郎信徳(みやはつたろうのぶのり)が諸国漫遊の途次、遠泳の重要性を感じて編み出した泳ぎで、蛙足(かえるあし)平泳を基本としており、その特色は長距離の水上を遊泳し、比較的疲労せずに目的地に達することができる点にある。したがって、泳法はきわめて自然であり無理がない。観海の流名は、宮発太郎信徳の泳法に対し津(三重県)藤堂藩の閣老藤堂高克(たかかつ)が「観海如陸」と賞したことに始まるという。藤堂藩の藩校有造館の教科となり、夏期60日間教授された。泳法には平泅(ひらおよぎ)、抜手(ぬきて)、半身泅(かたみおよぎ)などがあるが、遠泳を主としており、古式沖渡りは特色の一つ。
[笹島恒輔]
…横体のあおり足の泳法を用いる。(9)観海流 比較的新しく,1853年(嘉永6)武州浪人の宮発太郎が津藩に招かれて創始したもので,明治期に軍隊,学校で盛んになった。蛙足平泳(かえるあしひらおよぎ)の系統。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」