宮竹用水(読み)みやたけようすい

日本歴史地名大系 「宮竹用水」の解説

宮竹用水
みやたけようすい

手取川左岸の辰口町北部・西部および寺井てらい町・根上ねあがり町および小松市板津いたづ地域を灌漑する。辰口町倉重くらしげみやさま付近から上流上郷かみごう用水といい、同所の分水工で南西へ向かう本郷ほんごう用水(得橋用水・長野用水ともいう)と西へ向かう下郷しもごう用水とに分れる。ほかに辰口町火釜ひがま来丸らいまるで南に向かう支流山川やまかわ用水がある。なお昭和三八年(一九六三)改修まで、分水工は辰口町三ッ屋みつやの「がめぶち」にあった。

現在の手取川本流の流路は、もともとみなと(南川)川筋にあたっていた。そして現川北かわきた町の北辺を西流する今湊いまみなと(北川)の川筋がかつての手取川本流路であったという。しかし元和年中(一六一五―二四)頃、手取川の流路が南遷を始め(「郡方旧記写」出城八幡神社文書など)寛文―天和(一六六一―八四)頃にはほぼ現在の姿になったといわれる。現在の手取川下流左岸平地に位置する村々では、それまで湊川水系を用水源としていたと思われる。しかし手取川本流路南遷後は流勢の違いもあって手取川の水を利用することは難しかったらしい。元禄国絵図では、手取川下流左岸で同川より取入れる用水は描かれていない。ところが元文二年(一七三七)の諸郡図籍(金沢市立図書館蔵)では、宮竹村河原と山田やまだ村河原辺りで手取川から取水する二つの用水が描かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の宮竹用水の言及

【手取川】より

…とくに1934年のはんらんは歴史に残る大水害をもたらし,以後大々的に上流部の治山・治水事業が進められることになった。下流部の手取川扇状地は標式的な扇状地であり,七ヶ用水,宮竹用水などの用水路が完備し,くまなく水田化されている。これまで渇水時には給水制限を目的とする番水と呼ばれる水利慣行が守られてきたが,68年国によって支流の大日川に大日川ダムが,また79年手取川本流に手取川ダムが建設され,水利はもとより,発電,上水道,防災などにも大きく役立つこととなった。…

※「宮竹用水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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