宮野々番所跡(読み)みやののばんしよあと

日本歴史地名大系 「宮野々番所跡」の解説

宮野々番所跡
みやののばんしよあと

[現在地名]檮原町宮野々

宮野々から西行し、九十九曲くじゆうくまがり峠を経て伊予に出る道にあった境目番所。寛永六年(一六二九)に設置。高知城下まで二一里半、伊予宇和島うわじま城下へ一三里。享和元年(一八〇一)の「西郡廻見日記」には宇和島藩領川津南かわづみなみ(現愛媛県東宇和郡城川町)へ五〇町余で、ふだガ峠という境目まで三八町二〇間とある。この境目は郷士谷与次郎と半山はやま(現葉山村)の竹村幸三郎領知の際目でもあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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