日本歴史地名大系 「宮長村」の解説 宮長村みやながむら 鳥取県:鳥取市旧邑美郡地区宮長村[現在地名]鳥取市宮長・吉成南町(よしなりみなみまち)二丁目・叶(かのう)一丁目・吉成(よしなり)三丁目的場(まとば)村の西、大路(おおろ)川の南に位置する。中世には宮永(みやなが)保が成立していた。文永一一年(一二七四)七月日の後善法寺宮清処分帳(石清水文書)に別神領として滝房(たきふさ)庄「宮永保」とみえ、権別当尚清に譲られている。永仁五年(一二九七)六月に尚清は坊領の宮永を左京大夫局(尚清の娘)の一期知行ののち、宮一若(入江通清)に譲ることを定めている(「善法寺尚清処分帳」同文書)。応長元年(一三一一)一二月一五日、尚清は別相伝の滝房庄加納宮永保を権別当康清に譲っており(「善法寺尚清処分状写」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by